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2025年12月14日 主日礼拝
1.その子の名はヨハネ
- ザカリヤは御使いによって子が生まれると語られたことばを信じなかったが、 名付けに時には御使いに命じられたとおりにした。(13節)
- ザカリヤは、ものが言えなくなるという罰を受け、反省して、主に従おうとしたのだろう。神は背く者に、悔い改めの機会を与えてくださる。
2.ものが言えるようになって神をほめ讃えた
- 神のみこころに従った時、ザカリヤは、ものが言えるようになった。
- 話したいのに声が出ないでいた人が、やっと声を出せるようになった時、開口一番に何を語るだろうか?ザカリヤは神をほめたたえた。おもわず出ることばが賛美であったのは、この時のザカリヤが神のみわざに感動し、自分も用いられたことに感謝していたからだろう。
- 思わず出ることばが、つまらない、くだらないことばだったらがっかりする。自分はどうだろうか。ザカリヤのようだろうか?彼とて、不信仰な時にはつまらないことを言って叱られた。主を信じて、よきことばが口からでる者にしていただきたい。
3.聖霊に満たされて預言した
- ザカリヤはさらに、聖霊に満たされて預言した。その関心は、我が子よりも、これから生まれてくる救い主に向けられ、ついに神が救いの約束を実現してくださることを喜んでいる。
- ザカリヤはすでに、自宅に訪ねてきたマリアに出会い、彼女に救い主が宿っていることを知っていただろう。
- 神は救いの計画を進めておられる。そしてわが子も、救い主の道を備えるという役割を果たさせていただく。そうした感動が、ザカリヤの預言のことばに反映されている。
- ザカリヤの預言は、急に心に湧いてきたことばではなく、彼自身の経験が反映されている。預言者が自分の経験を通してみことばが与えられるという経験は、他の預言者においても見られる。神が人を用いる時、誰でも臨時に用いることもできるだろうが、神はその場限りの用い方ではなく、その人の人生全体を用いて、ご自分の計画を実行されると考えた方が良い。悪者さえも災いの日のために造られた。(箴言16章)
- ザカリヤは神を讃え預言するために用いられた。その預言の準備として、彼の不信仰さえも意味あるものとして用いられた。なんと神は偉大なのだろう。その偉大な神を、私たちも讃えよう。
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