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2025年12月7日 主日礼拝
序
- マリアへの受胎告知と、エリサベツとの会話を読んだ。二人とも不思議な体験をした。現代でも、不思議な体験をしたと言う人たちがいる。私たちはそういうことばを聞くと、本当に神から示されたことなのか疑問に感じることもある。しかし、ひょっとすると自分自身も不思議な経験をするかもしれない。その時にきちんと受け止められるだろうか?
- 偽札を見抜くには、本物のお札をよく知ることが最も大切だと言う。確かな経験であったマリアやエリサベツの事例をよく学び心に刻もう。
1.マリアは「おことばどおり」と語り、御使いの語った主のことばを信じた。
- マリアは御使いに出会うと言う不思議な体験をした。彼女は現れた御使いのことばに驚いたが、その姿にではなく「このことばにひどく戸惑って」と記されている。姿にも驚いたかもしれないが、彼女の注目点は「ことば」だったのだ。
- 同じ出来事を経験しても、御使いの姿に目を奪われれば、語られたことばを理解しようとはしなかったかもしれない。マリアは良く聞いたので、何のあいさつかと考え込んだのだ。みことばは、最初からよく理解できなかったとしても、意味を知りたいと考えることが大切。
- 御使いはあいさつの意味を語った。マリアはそれに応答して疑問点を質問した。神に従いたいからこそ質問したのだ。従いたくないなら、聞きたくもなかっただろう。
- 御使いは疑問点を丁寧に解き明かした。ザカリアに対しての態度とはだいぶ違う。彼の場合は「信じなかった」(20)と断じられた。ということはマリアは信じようと前向きだったのだ。求める者には与えられる。
- 御使いは、「みごもる」「男の子を産む」「大いなる者になる」という、彼女の人生の中で確認する出来事が起きることが起きることを予告した。しかし、いずれもこの時点では将来の出来事であり、信じるかどうか決断が必要。マリアは「おことばどおりになるように」と受け止めた。
2.エリサベツは「主によって語られたこと」を信じた信仰を重んじた。
- エリサベツは聖霊に満たされるという不思議な体験をした。彼女はマリアから詳しい話を聞く前に彼女が妊娠しているとわかった。しかも「私の主の母」と語り、マリアが主を宿していると告げている。通常の人間が知り得ないことを、彼女は理解したのだ。
- この不思議な経験が確かかどうかは、彼女が信じたとおりに事が進むかどうかで確認できる。預言者が本物かどうかも、語ったことが実現するかどうかで判断される。体験そのものよりも、そこで語られた内容が真実かどうかが大切。
3.マリアは賛歌の中で「父祖たちに語られたとおり」と歌い、主のことばは真実だと告白した。
- マリアが御使いから聞いた言葉には、まだ実現していない部分が含まれている。33節「彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」という部分は、主の再臨後に実現する出来事。これが真実かどうかは、私たちも信じるかどうかが問われる。
- マリアは御使いの預言を信じる上で、「父祖たちに語られたとおり」(55)という基準を持っていた。不思議な体験を受け止めるには、すでに聖書で示されている内容と照らし合わせて、確かかどうかを確認することが重要。みことばと食い違う内容ならば、主が示されたこととは思えない。
結
- 多くの情報が氾濫する時代の中で、私たちは何を本当に信じるのかが問われている。すでに神から受けているみことばである聖書をよく読もう。自分の判断力に頼らずに、みことばの教えに基づいて謙虚に物事を受け止めて、みこころに従いたい。
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