2025年6月8日 主日礼拝

使徒の働き2章1-42節

國分広士牧師

  • 映画「コンクラーベ(教皇選挙)」を観た。次期教皇に相応しい人物が選ばれるようにと、悲痛なまでの努力がなされるが、意外な結末を迎える。神のみわざは人の思いを超えることを思わされ、感銘を受けた。ペンテコステの出来事も人間の思いを超えており、だからこそ神のみわざだと教えられる。

1.聖霊が弟子たちに語らせた

  • 聖霊が来られることは主イエスに予告されていた。(使徒1:4-5,ヨハネ14:16)それで弟子たちはエルサレムにとどまっていた。
  • エルサレムには世界各地に散らばるユダヤ人たちが礼拝に来る。聖霊が降られた時、多くのユダヤ人が遭遇し、弟子たちの語る福音のことばを聞くことになった。
  • 最初から弟子たちが普通のことばで語ったなら、人間的な宗教活動にすぎないと解釈される。ある解釈では、「ユダヤの宗教」が「パウロの宗教」と変遷したのがキリスト教だと言われる。しかしその解釈はペンテコステの出来事を無視している。弟子たちはそれまで会話できなかった世界各地の言語で語り出した。だからこそ衝撃だったし、その衝撃がなければ三千人が一気に弟子になることもなかったのだ。
  • ペンテコステの出来事は、イエスの弟子たちが「キリスト教会」になった転換点。聖霊が弟子たちに語らせたことばによって、キリスト教宣教が始まったのだ。

2.語られたことばの内容

  • 14節からペテロが代表して語る内容が記される。そこまで多くの言語で語られたのも同じような内容なのだろう。ペテロは多言語での宣教は預言の実現であり、その目的は、21節の「主の御名を呼び求める者は みな救われる。」点だと指摘した。
  • 主イエスの奇跡のみわざの目的も「主の御名を呼び求め」させるためだった。なのに「あなたがた」は主イエスを信じないで十字架につけて殺したとペテロは責めた。
  • 人間が否定しても神は主イエスを復活させた。復活も預言されていた。自分たちは主イエスの復活の証人。証人である自分たちに神は聖霊を注いで、証言が確かであることを示してくださったとペテロは主張した。

3.語られたことばへの応答

  • 聞いていた人々は素直に反応し、37節で「私たちはどうしたらよいでしょうか?」と導きを求めた。この素直な応答は、聖霊にとらえられたから。弟子たちだけが聖霊に導かれたのではなく、聞く人々も導かれていた。
  • ペテロは「悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。」と勧めた。この勧めに応じて、その日、三千人ほどが仲間に加えられた。(41)
  • 三千人もが集まれる場所にはいなかっただろう。ならば、人々が入れ替わって、繰り返し宣教が行われたか、弟子たちが散らばって場所を増やして色々な場所で福音を語り、結果として三千人の新しい仲間を得たということなのかだろう。
  • それまでの弟子集団は500名ぐらいだったと思われる。(参コリント第一15:6)規模が5倍以上に拡大したというのは奇跡的であり、その後、ほとんどの弟子がエルサレムから追い出されたにも関わらず、世界に拡大して現代にまで続くのも奇跡的。
  • この「応答」は今も続いている。聖霊の働きは終わっていない。今、聖霊は私たちにも「語らせ」ておられ、応答を求めておられる。  

  • 聖霊は主イエスが私たちの救い主だと教えてくださっている。
  • 主イエスを信じ、従おう。