2025年5月11日 主日礼拝

序
物事は自分の思惑と異なる方向に進むことが多い。かといって、計画を立てたり実行しようと決断する自分の意思が無意味なわけでもない。今日の箇所は、私たちの意思の大切さを教える。
1.状況
- ヨルダン川を渡る前にルベン族、ガド族とマナセの半部族は彼らの申し出で割り当て地が決まり、前章まででユダ族、ヨセフ族(エフライムとマナセ)の割り当てが決まったが、まだ7部族(ベニヤミン、シメオン、ゼブルン、イッサカル、アシェル、ナフタリ、ダン)が割り当てられていなかった。
- 誰かが最初や最後になるのは仕方ないが、積極的だったかどうかは本人の問題でもある。ヨシュアが叱責したところから、7部族は割り当て地を得ようという積極性が乏しかったようだ。そのうち決まるだろうと先延ばしにしていたのである。
- 大切なことを先延ばしにしてしまうことはないだろうか。動けない事情があったり、準備中で意図的に先延ばしにするのは仕方ないが、不安や怠惰が理由ならば問題。後者に対しては叱責のような強い促しが必要になる。
2.何を先延ばしにしていたのか
- ヨシュアは「あなたがたに与えられた地」と語った。未占領ではあるが、すでに自分たちに与えられていることを忘れている。「自分たちの土地」と考えるか、「彼らの土地」と考えるかでは、意義が異なる。自分たちの土地が不当に占拠されているなら、それを取り戻すのは必然。
- ヨシュアは「主が…与えた」と説く。早く受け取りなさいと、主が祝福を用意しておられるのに、祝福を受け取るのを先延ばしにしているのだ。
- 「相手が強くて占領は無理」といった不安は大きかっただろう。17章ですでに割り当て地が決まっていたヨセフ族が、不安を口にした。実際に自分の戦うべき相手が決まり、相手をよく観察すると、予想以上に手強く見えたからだ。ヨシュアが先頭に立ち、自分たちはただ命令に従って行動するだけなら、判断は任せればよかった。しかし自己責任で判断するなら、判断ミスが命取りになる。しかし反対に、自分で決めて成功するなら、大きな喜びも経験する。先延ばしは喜びも先延ばしにしてしまうのだ。
3.主の前でのくじ
- ヨシュアは叱責後に、彼ら自身で占領予定地を7分割させ、その上でくじを引き、各部族の割り当て地を決した。文句が出ないようにする良い方法。
- 「くじ」は神のみこころを求めるためにしばしば用いられた。人間同士の合意で事を決める方法だと、誰が有利か不利かをめぐり、論争が起こりやすい。くじは決定を神に委ねる方法。
- 主の前でのくじは「運」ではない。「くじは膝に投げられるが、そのすべての決定は主から来る。」箴言16:33 くじの結果は神のみこころだと思えば「くじは争いをやめさせ、強い者の間に決着をつける。」箴言18:18
結
くじの決定に従い、決まった相続地を占領しに行くのは各部族の責任で行われた。私たちにも何らかの責任が与えられる。トラクト配布も割り当て地を決めたなら、自分で配らなければ、福音を伝える恵みは得られない。祝福を受け取りに出て行くという積極的な態度で臨もう。