2025年2月2日 主日礼拝

ルヨシュア記6:10

國分広士牧師

カナンの地を攻め落とす前に、さまざまな準備段階があった。ヨルダン川を渡り、民の男子に割礼を施し、マナを降らせるのを止めるなど。それぞれに意味がある。そしていよいよ初戦を迎えるが、この初戦は、自分たちの戦いは「主の戦い」であることを主の民が学ぶ意味があった。

1.不思議な方法

  • エリコの近くまで来ているイスラエル人を恐れて、エリコは城門を閉じて籠城している。エリコは元々オアシスの地である故に栄えた最古の街。城壁も高く頑丈で、長期間の籠城ができる。
  • 主の軍の将はエリコ攻略のために不思議な方法を命じた。契約の箱を担ぐ祭司たちを先頭に、戦士たち皆でエリコの周囲を一周、黙って行進せよと言うのだ。それも6日間も。
  • 七日目は7周も行進する。そして祭司が角笛を吹き鳴らすと戦士たち皆でときの声をあげる。そうすれば、そびえたつ城壁が崩れ落ちるというのだ。
  • この作戦は理にかなっているだろうか?これをすることにどんな意味があるのだろうか? 

2.黙って従う経験

  • 人は納得を求める。たとえ自分が関われない事柄であっても、どうしてそうなったのか、どうしたら良いのかを知りたくなる。だから、意味がわからいと「何でこんなことをしなければいけないのか」と、つぶやきたくなる。黙って従うのは簡単ではない。
  • 初日は文句は出ないだろう。二日目もまだいい。しかし三日目、四日目にはあきてきて、「どうせ行進しても、ときの声をあげるまで城壁は崩れはしない。めんどうな行進は省略して、早くときの声をあげたい」と、民は思わなかったのだろうか?
  • 軍事行動なので、黙れと命じられれば兵士は黙るが、心の中では色々な思いがあるはず。「主に従えた」という喜びを感じていれば、退屈な行進にも満足できる。大事なのは、全てを見ておられる主を喜ばせたいという願いを持っているかどうか。

3.最後に叫ぶ

  • 7日目は特別な日。毎日特別な日だったら良いのにと思うのはあさはか。6日間の準備期間の後に7日目があるという視点が重要。これは私たちの歩みにも当てはめられる。
  • エリコ側とすれば、6日間の間に降伏すればよかったと後悔したことだろう。主を信じることを先延ばししすぎてはいけない。
  • 7日目は7周も行進する。そのあとで実戦になることを思うと、疲れてよくないのではないだろうか?主の作戦は、合理性を求めると受け入れ難い。しかし、自分の判断と主のご命令が食い違う時、主のご命令を優先するのが「信仰」。
  • ついにときの声をあげる時が。城壁が崩れれば疲れも忘れて民は戦った。勝利の喜びを味わうと、「どうして?」という疑問は消え、「これでよかったのだ」と思うようになる。天の御国に行った時も、私たちは地上での疑問を忘れて喜びに浸るのだろう。

私たちは今、真の意味を感じられない日々を過ごしているかもしれない。しかし、主の計画は確かに進んでいる。やがて、ラッパの音が響く。
   第七の御使いがラッパを吹いた。すると大きな声が天に起こって、こう言った。
    「この世の王国は、私たちの主と、そのキリストのものとなった。
     主は世々限りなく支配される。」