2025年2月9日 主日礼拝

序
挫折の記事を読むのは辛いが、誰にも挫折はある。そのときに正直に告白できるかどうかが分かれ目になる。告白の意義を学ぼう。
1.心のおごり
- 挫折には前兆があった。斥候の報告には、問題を過小評価し自分たちを過大評価する心のおごりを感じる。「民をみな上って行かせるには及びません。二、三千人ぐらいを上らせて、アイを討たせるとよいでしょう。」(3節)
- 斥候の提案を受けて三千人だけを派遣したのはヨシュア。ヨシュアにも油断があった。
2.心の痛みを告白
- 敗戦を受けて、ヨシュアは衣を引き裂き、主の箱の前で夕方まで地にひれ伏した。全てが終わったような失望感を感じる。その上でようやく口を開き、主に心の嘆きを告白した。
- 「ああ、神、主よ。あなたはどうして、この民にヨルダン川をあえて渡らせ、私たちをアモリ人の手に渡して滅ぼそうとされるのですか。…カナン人やこの地の住民がみな、これを聞いて私たちを攻め囲み、私たちの名を地から断ってしまうでしょう。あなたは、あなたの大いなる御名のために何をなさるのですか。」(7〜9節)
- ヨシュアは敗戦によって現実の厳しさを味わった。エリコに勝利したのは主の奇跡。本当は自分たちは弱いのだと思い知らされたのだ。
- ヨシュアの言葉には、主への恨みがましささえ感じる。ことばを綺麗に整える余裕もなく、ありのままの心を告白したからなのだろう。主は砕かれた心を喜ばれる。
3.4回のくじ
- ①イスラエル12部族が、部族ごとに進み出る。⇨ユダ部族がくじで取り分けられた。
- ②ユダの諸氏族を進み出させると、ゼラフ人の氏族がくじで取り分けられた。
- ③ゼラフ人の氏族を男一人ひとり進み出させると、ザブディがくじで取り分けられた。
- ④ザブディの家族を男一人ひとり進み出させると、アカンが、くじで取り分けられた。
- だんだん自分に追求が迫っているのだから、アカンはもっと早い段階で正直に告白できるよう、機会が与えられていた。しかし自分だけが取り分けられるまでしらを切っていた。せっかくの機会を無駄にしてしまったのだ。
4.告白
- ヨシュアは「イスラエルの神、主に栄光を帰し、主に告白しなさい。」と迫った。告白には、主に栄光を帰するという意義があるのだ。
- アカンは「確かに、私はイスラエルの神、主に対して罪を犯しました。」と告白した。それでも彼は死刑になった。しらを切り通すこともできた。天幕を捜索すれば隠したものは見つかるが、「元々持っていた」と嘘を貫くこともできた。ならば彼の告白にはどういう意味があったのか?
- アカンが正直に告白したのは、くじの経験で「主は知っている」と。主を恐れたからなのだろう。彼は死刑になったが、罪を告白したので、天国には行けるかもしれない。主イエスをかばった犯罪人は、主イエスに「パラダイスにいる」と言われた。十字架から下ろしてはもらえなかったが、地上の幸に勝る天国という幸を得た。そこに目を向けないと、告白を選びとることはできない。
結
- 天国ではなく、この地上の歩みだけを考えても、正直に告白すれば精神的に楽になり、人にも感動を与える事ができる。それだけでも大きな意義がある。しかし、正直すぎると自分のメンツは守れないかもしれない。自己保身のために告白を避けるのは罪の誘惑。
- しかし自分のメンツより、主にどう思われるかのほうが大切だと思うなら、主に栄光を帰すために、正直に告白しよう。罪を告白する者を赦し救うために、主イエスは十字架にかかられたのだから。