2024年5月19日 主日礼拝
序
※使徒2章より1-14節, 22-24節, 36-41節を読む。
1.人の心に届くことば
- ペンテコステの日、人々は「私たちそれぞれが生まれた国のことばで話を聞くとは、いったいどうしたことか。」と驚いた。主の約束によって聖霊が降られたとき、弟子たちは自分たちの知らなかった言語で、人々に福音を語った。
- 聖霊のご目的は福音を伝え、人々が主イエスを信じて救われることだった。様々な母語の人々がそこにいたので、その人の心に届く言葉によって福音を語らせたのだ。真に重要なのは異なる言語を用いたことではなく、人の心に届くことばを用いられたことである。
2.母語
- 母語の重要性を理解すると、聖霊のみわざの意義深さを理解できる。
- AI研究者の「黒川伊保子」という方は、1991年から、「語感」を数値化してAIに実装しようと取り組んだ。それまでのコンピューターとの会話では、人間の質問に対して、AIは肯定なら「はい」としか答えなかった。質問を繰り返すと幾度も「はい」と言われ、冷たい感じがするので、もっと適切な受け答えができるように改良して欲しいと求められたのがきっかけ。「はい」「ええ」「そう」などの色々な受け答えを適宜に使い分ける言語能力は高度なのである。
- 人は学習によって母語以外も身につけられるが、最も自然に言葉を使い分けられるのは母語。第二言語では細かいニュアンスを使い分けるのは難しい。それまでのAIは第二言語の話者のような言語能力しかなかったのだ。親が子に英語を身につけさせようと、わざと家庭で英語で会話して生活するようなケースにおいて、子は会話能力としては日本語も英語も話せるが、細かい感情表現を言い表す言語を持てない「母語喪失」という問題が生じるという。母語は人が人と心を通わせるための最も大切な言語。
- ペンテコステの日に、聖霊は、人々の母語で福音を伝えた。だからその心に福音が届き、人々は主イエスを受け入れたのである。
3.聖霊に満たされ用いられる人の姿
- 聖霊に満たされ用いられる人の姿を描いていると思われるのが、詩篇91篇。5-13節の、恐ろしい状況の中で、主に守られて恐れずに歩む姿は、ペンテコステの日のペテロのよう。彼は主イエスを3度も否認した臆病者なのに、聖霊に満たされたときには大胆に語った。
- 違いは何か?それは「全能者の陰に宿る」か否かである。恐ろしい状況は自力では乗り越えられない。全能者の助けが必要であり、確かに全能者がともにおられ、導いてくださるという信仰があるかどうかで、人の心の状態は大きく変わる。
- 「宿る」「住む」は能動的。信仰は能動的な面を持つ。他にも2節「申し上げ」、4節「身を避ける」、9節「住まいとした」、15節「呼び求め」といった能動的に信仰を表現することばに注目しよう。心の奥深くで信じているだけでなく、信仰は表現することに大きな意味がある。
- 聖霊が顕著に働かれたのは、信仰の表現の場面であった。表現は他者にも影響を与える。聖霊は主イエスの救いを人々に得させたいのだ。私たちも人々に福音を伝えるために、聖霊に用いていただこう。自分自身の口でイエスさまを信じる告白をし、人にもそのことばを聞いてもらおう。弱い者であっても聖霊によって心に届く言葉が与えられることを信じ期待しよう。