2024年5月26日 主日礼拝

ルカ19:1-10

國分広士牧師

「ザアカイ」はよくメッセージの題材に使われる。人物像を思い描きやすく、またストーリーの意外性が高い故に、印象に強く残るテキストである。

1.取税人のかしら

  • 取税人はローマ帝国に雇われて、ローマ帝国に納める税金を取り立てる。ローマは収まるべき税額は定めるが、徴収方法は取税人の自由にまかせた。ローマ軍の後ろ盾もあるので、取税人は不当と思える高額な税額を、強引に取り立てることもあり、民衆からは「罪人」呼ばわりされていた。それでも取税人になるのは、地位を利用して儲けたいから。
  • ザアカイは「かしら」で「金持ち」だった。仕事ぶりも信頼され、儲けた金を堅実に蓄積していた。軽はずみに思いつきだけで行動するような人ではない。
  • 彼はイエス様が自分の町に来たので、なんとか見ようとした。地位のある大人が木登りまでするのは、見たいという思いの強さを感じる。なぜ見たいのか?直接の理由は記されていないが、続く記事からは、人生の転機を願っていたような印象を受ける。

2.イエス様はザアカイの名を呼んだ

  • ご自分から名前を呼ぶのは、前から彼のことを知っていたことを示す。そうではなく、人々が「木の上にザアカイがいる」と言うのを耳にして知ったと受け取る人もいるが、そうすると、「あなたの家に泊まることにしてある」という発言が、計画ではなくその場の思いつきであったことになる。私は主がご計画を持ってザアカイを導かれたと信じる。
  • ザアカイは急いで木を降り、イエス様を家に迎えた。憧れの人が自分の名を呼び、自分の客となってくれるのは光栄。
  • しかし、声をかけられても応じない可能性もある。態度保留のまま、イエス様との関係を明確にしないでいる可能性もある。その場合は、ザアカイが経験したような「喜び」や「告白」は経験しないで終わる。

3.ザアカイは立ち上がり、主に言った。

  • 当時の食事は寝そべってしていたので、その状態から立ち上がったのだろう。その姿勢には、語ろうとする言葉の、自発性と真実性を感じる。
  • 「財産の半分を貧しい人たちに施します」というのは非常な決意。彼個人だけでなく、家族や家人(しもべや雇い人)にも大きな影響をもたらす。簡単には実行できないことを「かしら」として理解していたはず。それでもやろうとするは、自分が財産を築いたことへのやましさを、どこかで解消したいという思いを抱いていたからではないだろうか。
  • 「脅し取ったものは四倍して返す」というのも大きな決意。強引な税金の徴収にあたって、兵隊の強制力で脅し取ることもあったのだろう。それで恨まれていることを、どこかで解決したいと思っていたのではないか。「全部返そう」と。律法には、人から奪ったなら増やして返せと命じられている。彼の心の中で「1割増しで返そう」「いや5割り増しで」「いっそ倍返しにしよう」「いや、その倍の四倍に」といった思いが交錯したのではないか。それは急な思いつきではなく、以前からずっと考えていたのではないか。

  • 人の子(イエス)は、失われた者を捜して救うために来た
  • 主は自分の罪を清算し生き方を変えたいと思い悩むザアカイを知っておられ、彼の願いを実現するきっかけを与えるために、エリコの町に来たのだと思われる。
  • 主は私たちの願いも知っておられる。自分の罪を嘆き、救いを願っているなら、その願いを知っておられる。そして、ザアカイのように立ち上がって自分の決意を述べることを、待っておられ、述べたなら「救いが来ました」と、告白を受け入れてくださる。勇気を持って主に自分の告白をしよう。