2024年3月3日 主日礼拝

イザヤ書40:27-31

國分広士牧師

1.言い張る自分の本音

  • a「あきらめ」
  • 自分の内側には失望感がある。
  • 拉致問題解決を求める祈り→いくら祈っても解決が見えてこない。
  •  それでも、苦しみの中から助けを願っている人々の存在は疑えない。
  •  脱北者の実情を知ると、北朝鮮の人々は気の毒。悩ましい。
  • 戦争も早く終わって欲しいが、一向に終わらず、双方に悲劇と憎悪が増している。
  • →全てを導かれる主に祈るしかない。
  •  しかし、失望感を抱えながら祈るのは心苦しい。
  • b「ひがみ」
  • 自分はふさわしくないという自信喪失を抱えている。
  • 牧師につまづいて教会の交わりから離れた兄弟姉妹たちがいる。
  •  励ますつもりで接して嫌がられ、そっとしておくと見捨てられたと思われたらしい。
  • こどもたちの遊び場として教会を解放。連日こどもたちが遊びに来ている。
  •  その中から、ジョイピンポンやCSに出席するこどもたちも出てきており、感謝。
  •  しかし「こどもの相手ばかりで信徒への配慮が足りない。」という声も聞こえる。
  •  確かに自分は一点しか見えず、目配りが足りない者だと思わされる。
  • 外部にも抱えている責任がある。「小さないのちを守る会」「hi-b.a.」
  • 「横田姉を囲む祈り会」など。それぞれ非常に大切と思うので関わっている。
  •  だが、関わってはいても、どれも満足いく働きはできていない。
  • 「自分には無理」という、ひがむ思いが常に湧き、心が乱される。
  • c「不安」
  • 自分の家族など、愛する人々は、どうなってしまうのか?
  • 人の救いは主のみわざであり、時があることを信じるが、なかなか時は来ない。
  • シメオンのようにイスラエルの慰めを待ち望む信仰が必要。聖霊の満たしが必要。
  • 信仰が足りない自分の本音は「私の訴えは見過ごされている」と言い張っている。

2.知らないのか?と問われている

・私たちは有限な存在なので、消耗し弱る。しかし主は永遠の神。

 主が全知全能であることを知っているはず。
・自分は疲れていても、主は疲れないし、疲れた者には力を与えてくださることを、思いおこし、主に期待するように教えられている。
・「若者」→自分もかつては若者だったが、65歳の今では、力尽きてつまずき、倒れている。
・倒れている今こそ、「主を待ち望む」かどうかが問われている。
・だらだら信仰生活を続けるのではなく、「新しく力を得」て、喜んで主に仕えるように、チャレンジを受けている。