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2024年2月25日 主日礼拝
1.はじめに
- 聖書は、神の創造が「はじめ」だと教えている。「はじめ」の前はない。私たちに知らされているのは、「はじめ」以後のこと。
- 教えられていない部分も空想はできるが、空想は不確か。気にしすぎてはいけない。
- (隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし現されたことは永遠に私たちと私たちの子孫のものであり、それは私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである。申命記29:29)
- 近年、理論物理学や宇宙論が発達し、天地創造の記事の理解の仕方にも影響を与えている。混乱しないように、科学と聖書の違いをわきまえよう。科学は人間の視点で見た世界を語るもの。聖書は神によって与えられたことばなので、神の視点で世界をこう造られたと語っている。両者が一致すれば感謝だが、食い違っても仕方がない。
2.神が天と地を創造
- 最も大切なのは造り主。造り主がいなければ何も始まらない。
- 造り主がいるなら、その方は壊れた部分を直すこともできる。一から全てを作り直すことだってできる。聖書は造り主がいるから、その方に救いを求めるよう教えている。
- 6日間での創造は、順を追って1日づつ学ぶと興味深い。現代科学と一致する部分も一致しない部分もあるが、人間の知識はわずか。2021年12月25日に打ち上げられたジェームス・ウェッブ宇宙望遠鏡の観測で、最果ての宇宙が見え、ビッグバン宇宙論は修正を迫られている。人間は限られた知識しか持っていないし、得た知識を考察する知恵も不完全。科学との不一致点があっても謙虚に受け止めよう。
- 聖書は神が計画的に世界と人間を造られたことを教えている。神には確かな計画があると信頼することが、この記述の持つ意味。
3.人は神のかたち・神の似姿
- 神の創造の最後は人間。世界は人間の生きる場所として造られた。
- 人間の特殊性は「神のかたち」であること。神そのものではない。「神の似姿」である。
- 偶像が否定される理由はここにある。神ご自身が、自分で自分のかたちを造られたのだ。なのに他の者が勝手に「神の形」と称して偶像を作るなら、神は偽造品だと責める。
- 目で見える形がないと、心を寄せにくいなら、他の人を見よう。その人は「神のかたち」なのだから。罪で汚れた部分ではなく、良い部分を見れば神の姿が見れる。
- お互いを神のかたちとして尊重することが、神のみこころ。
4.非常に良かった
- 神の創造の最後は人間。世界は人間の生きる場所として造られた。主目的が人間なので、人間が神に背き、のろわれるべき存在になれば、世界全体が存在価値を失う。
- だが、人間が環境を破壊するからといって、人間はいない方が良いと思うのは極論。神はそうは思わず、罪を悔い改め、神を信じる者を救ってくださる。
- 神が全てを造って、造った者を滅ぼしたり救ったりするのは、勝手だと抗議し反論するのは、サタン。サタンに同調しないように気をつけよう。
- ああ、あなたがたは物を逆さに考えている。陶器師を粘土と同じに見なしてよいだろうか。造られた者がそれを造った者に「彼は私を造らなかった」と言い、陶器が陶器師に「彼にはわきまえがない」と言えるだろうか。イザヤ29:16
- 神こそがすべての造り主。私たちは被造物にすぎない。被造物だからこそ、造り主に助けを求めることができる。造り主を崇め、頼ろう。
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