2024年2月18日 主日礼拝

イザヤ書38章1-8節

國分広士牧師

1.そのころ

  • アッシリアの軍勢によってユダの町々は攻め取られ、首都エルサレムも滅亡寸前に追い込まれた。主の奇跡によってアッシリアは撤退し、その王は自分の都ニネベで暗殺された。
  • とはいえアッシリアは強大な国家であり、いつまた侵略戦争を開始するかわからない。アッシリアがいない隙に他国が侵略してくるかもしれない。民が安定して生活できるように整え、次の災いに備え国力を増強するべき時だった。

2.大声で泣いた

  • ところが、ヒゼキヤ王は重い病気で死にかかる。しかも、主の預言者イザヤからは、病気が治らず死ぬから、家を整理せよ(王権を誰に継承させるか)と、厳しいおことばが与えられた。
  • ヒゼキヤはこのことばを聞いて、主にあわれみを求め、泣いて祈った。
  • ヒゼキヤ王は、歴代のユダの王の中で、最も明確な信仰を持って主に従った王。彼自身も偶像崇拝に走った過去の王たちとは違うという自覚があった。なのに、人生半ばで死んで、国の再興に尽くせなければ、正しい信仰を示せなくなると思ったのだろう。

3.あなたの祈りを聞いた

  • ヒゼキヤは顔を壁に向かって祈っていたが、主は聞いておられた。
  • 再び預言者イザヤが訪れ、主がヒゼキヤの祈りを聞き、もう15年寿命を加えると言ってくださった。ヒゼキヤは癒された。
  • ならば、「治らない」と言われたことばは、どう理解すれば良いのか?ヒゼキヤには、「どうせ治らない」と潔く諦める可能性もあった。後のことは後継者に任せて最後の日々を穏やかに過ごすこともできた。しかし彼は泣いて祈った。その祈りを主が聞いてくださったところが、大切なポイント。彼の涙の祈りは主の厳しいことばに誘発されたのだ。
  • ヤコブの手紙にこうある。「罪人たち、手をきよめなさい。二心の者たち、心を清めなさい。嘆きなさい。悲しみなさい。泣きなさい。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高く上げてくださいます。」ヤコブ4:8−10抜粋
  • 主は試練として厳しいことばを与えられることがあることを、覚えよう。

4.一難さった後の油断

  • ハッピーエンドでまとめるほうが気持ちが良いが、ヒゼキヤの歩みを考えるとそうではない。39章には、病気回復後に来訪したバビロンの使者たちをヒゼキヤが歓迎した記事が続く。バビロンはアッシリアのライバル。ヒゼキヤにとっては同盟国となることでアッシリアに対抗する好機と思えたのだろう。
  • しかし、やがてバビロンはアッシリアを滅ぼし、世界帝国を築く。エルサレムもバビロンによって滅ぼされる。ヒゼキヤはその危険性が認識できず、同盟できることを願って、自国の軍備や財力の状況を明かして、信頼させようとした。しかし、自分の内面をさらけ出して信頼を求めるべき相手は、主なる神のはず。ヒゼキヤは主に信頼するようにバビロンを信頼した。誰にでも尻尾をふる節操がない者は、信頼できない。
  • 厳しい状況の時の方が、ヒゼキヤの信仰はクリアだった。平和なときには信仰がぼやけてしまった。ここにも苦難の持つ意義が読み取れる。