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2023年7月9日 主日礼拝
1.万軍の主の誓い
- 「万軍の主」とは、全世界を創造され支配されていると言うこと
- 誓うのは、信じて欲しいから。非常に力を込めて語られているので、このことばを聞く者は、
誠実に応答することが期待されている。
- 人は「誓い」をどう受け止めるか。
①誓われた通りになると信じるのか。
②どんなに誓われても、誓い通りになるとは限らないと考え、誓い自体は信じないのか。
③誓いが実現方向に進む過程を観察できれば信じるが、観察できなければ、信じられないのか。
それならば、信じるのは自分の観察眼。自分しか信じないということ。
- 私たちは主の誓いをどう受け止めるのか?
⑴私たち自身の救いの約束は実現すると信じるのか?
⑵主の約束が実現するかどうかは半信半疑なのか?
⑶約束の実現傾向を自分で観察できることを求め、観察できない限り不信仰の状態にとどまるのか?
2.主の「考え」「計画」の実現。
- 引照箇所としてイザヤ10:5ー24が示されている。要点は、
⑴主がアッシリアを、神を敬わない国を滅ぼす道具として用いた。
⑵アッシリア自身は、自分の意思と力で国々を滅ぼしたと思い上がる。
⑶神は思い上がったアッシリアを滅ぼす。
- 不思議なのは、「神を敬わない国」を滅ぼすのに、やはり神を敬わないアッシリアが用いられること。
ヨシュアによるカナン征服は、神を敬うイスラエルが神を敬わないカナンの町々を滅ぼした。その時とは用い方が異なる。神が誰を用い、どのようにみわざをなさるのかは、私たちの予想を超える。
- 列王記第二18章〜19章に、アッシリアによる苦難とその滅びの出来事が記されている。
時はヒゼキヤがユダ王であった時代。
- ヒゼキヤの第四年にアッシリアによって北王国イスラエルの都サマリアが包囲され、三年後に滅ぼされた。(列二18:9-12)
- ヒゼキヤの第十四年に、南王国ユダにアッシリアが攻め込み、ヒゼキヤは貢物を送って和平を図ったが、受け入れられず、ユダの都エルサレムが包囲された。(列二18:13-37)
- アッシリアはクシュ王に備えるため、ユダに遣わした軍隊を一旦移動させた(列二19:8)が、再び攻めると脅し続けた。(列二19:9-13)
- アッシリア軍の18万5千人が主によって殺された。アッシリアは国に引き上げ、アッシリアの王は、自分の子たちに殺された。(列二19:35ー37)
- そうしたやがて起きることを、主はご存知の上で誓われている。
3.主の計画は成就する
- 主の「終わりの日」は、いつ来るのか誰もわからない。
「人々が「平和だ、安全だ」と言っているとき、妊婦に産みの苦しみが臨むように、突然の破滅が彼らを襲います。それを逃れることは決してできません。(テサロニケ第一5:3)
- しかし、主イエスを信じる者が滅びないで永遠の命を受けること(天国に行けること)と、信じない者が滅ぼされることは、明確に聖書に記されている。(ヨハネ3:16など)
- ただ万軍の主の計画は成就することを信じ、自分自身に対する約束のことばも実現することを信じよう。
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