2023年4月30日 主日礼拝

イザヤ書 6章1~8節
國分広士牧師

<名の説明>

ウジヤ王:南王国ユダの10代目の王。16歳で即位し、52年に及ぶ長期間、国を治めた。彼の時代は国は栄えたが、心が高ぶり、祭司の職務まで行おうとした。すると神からの罰としてツァラアトに冒され、死ぬまで隔離された。(第二歴代26:1-21) 
セラフィム:天使の名称の一つ。単数形はセラフで、複数形がセラフィム。イザヤ6章にしか名が出てこないが、黙示録4-5章に描かれている神の御座の周りにいる「四つの生き物」にも六つの翼がある。ケルビム(創世記3:24エデンの入り口を守る天使。契約の箱の蓋にその模型が付けられた。出25:18)とも似ている。

1.罪の自覚

  • イザヤは主の姿を見た。これは幻と思われるが、預言者の見る幻は通常の夢と異なり、リアルな現実として体験する。イザヤは神である主ご自身をはっきり観察したし、主を讃えるセラフィムのこともしっかり観察できた。
  • 主は栄光に満ちていた。高く上げられた御座に着いているのに、まとっている王服の裾が神殿に満ちている。王服は、踏んだり、どかしたりできないので、誰も神殿に入れない。偉大すぎ、聖すぎて近づけない。
  • セラフィムたちが顔や足を翼で覆うのも、主を恐れるからだろう。それでも二つの翼で飛び、大声で主を賛美していた。
  • 主を見たイザヤは、「私は滅んでしまう」と思った。ユダヤ人は神を見たら死ぬと思っていた。神はあまりに聖いので、自分の罪深さが明確になり、裁かれて滅びると思ったのだ。

2.罪が赦される

  • 自分の罪を嘆くイザヤのところにセラフィムの一人が祭壇の燃える炭を持って飛んできた。祭壇は罪を贖う全焼のいけにえを燃やすところ。燃える炭は罪の贖いのいけにえがすでに燃やし尽くされたことを示す。
  • イザヤが特に自覚した罪は唇、すなわち言葉の過ち。周囲の人々が罪深いことばを語っていることを苦々しく思いながら、結局自分も罪深いことを語ってしまっていることを、イザヤは思い出し、神はそれを知っていると恐れた。
  • セラフィムは炭火をイザヤの唇に当て、罪の赦しを宣言してくれた。

3.志願

  • イザヤは次に主のことばを聞いた。主は誰を遣わそう?と人を求めている。その場には天使たちはいるが、人は自分しかいない。
  • 罪が赦される前なら志願できなかっただろう。もっとふさわしい人を派遣してくださいと尻込みしただろう。だが、イザヤは自分の罪は赦されたことを信じた。罪から救っていただいた者として、主のために働きたいと思った。
  • それでイザヤは「私を遣わしてください」と志願した。以後、長く主の預言者として活動するイザヤの原点はここにある。
  • 私たちもイザヤと似た経験をする。まず神の前に罪深いことを自覚する。次にその罪を主ご自身の贖いで赦していただいたと信じ、主のために働きたいと願うようになる。その上で主が働き人を必要としていることを知る。主イエスはマタイ9:37-38で「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、ご自分の収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」と言われた。そこで「私を遣わしてください」と志願するのである。
  • その働きは牧師のようなフルタイムの働きもあれば、信徒として何かの奉仕に志願することもある。あるいは教会外の奉仕もあるだろう。主は世界のあらゆるところで働き人を必要としている。自分が求められていると信じ応答できる者は幸いである。