2023年4月9日 主日礼拝 (復活節礼拝)
1.祭司長たちの恐れ
- イエスを滅ぼそうとした祭司長やパリサイ人たちは、イエスが十字架で死んでも不安だった。イエスが三日後によみがえると予告していたことを思い出し、ピラトに墓の番兵を要請した。
- 彼らは実際によみがえるとは思っていなかっただろうが、弟子たちがイエスの体を墓から盗み、「死人の中からよみがえった」と言い出すことを恐れた。イエスの次は弟子達を恐れたのだ。神にある平安を得ていないと、不安は尽きない。
- 彼らは三日後まで墓を守れば恐れは解消すると思い、墓に封印して番兵に守らせた。しかしまさに三日目に、彼ら自身の語ったことが実現する。
2.恐れの的中
- 番兵たちは墓を見張っていたが、現れたのは弟子達ではなく、主の使い(天使)だった。霊を感じると、姿が見えなくても人は恐れを感じる。御使いははっきり姿を見せた。稲妻のようというのだから光り輝いていたようだ。この後、番兵は買収され事実でなく嘘を語るので、天使の姿についての目撃証言は、ちょうどそこに来た女たちによるのだろう。
- 番兵は身動きできないほど恐れた。そして天使が女たちと会話しているすきに逃げ出したようだ。彼らは自分たちの長であるピラトの所には行かず、いっしょに墓の封印をした祭司長たちの所に報告した。
- 番兵は命をかけて守る責任がある。使徒の働き12:19では、天使によってペテロが牢から解放された時、ヘロデは番兵たちを取り調べて処刑を命じた。もしも祭司長たちが番兵を庇わなかったら、彼らは処刑されていたはず。
- 祭司長たちは番兵たちの報告を聞いたのに信じなかった。彼らはイエスの奇跡も魔術(悪魔の力による奇跡)だと思っていたので、今度は弟子たちが魔術を行ったと考えたのかもしれない。
- 祭司長たちは番兵たちに嘘を言わせることでしのごうとしたが、「寝ていたはず」という設定をした時点で、その証言は無効である。実に愚か。
3.復活した主イエスは弟子達にだけ現れる
- イエス様は復活後に弟子達に現れた。コリント第一15:6には「キリストは500人以上の兄弟たちに同時に現れました。」とある。しかし、弟子でない者には現れなかった。復活した姿を敵対者にも表すのは再臨の時。迫害者サウロに現れたのは、彼を使徒にするための例外的出来事だった。
- 28:18-20の「大宣教命令」には、そのみこころが明確に語られている。弟子たちがあらゆる国の人に福音を伝えることで、あらゆる国の人も主の弟子になるように導くのである。また、弟子になった者たちにバプテスマ(洗礼)を受けさせ、主イエスの教えを守らせることも使命。こうしてキリスト教会が生まれた。
- 主イエスは「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」と約束された。この約束を実感するのは、主イエスを信じて従う者。主イエスはご自分を信じる者に、主の臨済という幸いをくださる。みこころを信じて従おう。