2023年4月2日 主日礼拝
人間に頼るな。鼻で息をする者に。そんな者に、何の値打ちがあるか。(イザヤ2:22)
1.悲しみを父にゆだねる主の祈り
- ゲッセマネにおいて、主イエスは悲しみ、父に祈った。この悲しみは、これから経験する苦しみをよく理解していたゆえの悲しみ。主イエスは愛する弟子に裏切られ、他の弟子達には見捨てられ、一人で苦しみに向かわなければならない。
- 主イエスは、ご自分の思いを父なる神に打ち明けて祈った。
「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください。」(39) - ただ黙ってこらえていたのではなく、いつも主イエスは父に祈っていた。父は全てを支配するお方。父の真実に期待し、自分の身をまかせる時、平安を得る。
「わが父よ。わたしが飲まなければこの杯が過ぎ去らないのであれば、あなたのみこころがなりますように」(42)
2.弟子達は人間に頼っていたので逃げた
- 弟子のペテロは主イエスを守ろうと剣をふるったが、主イエスに制止された。
- 主は「剣をもとに収めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。(52)」と言われた。
- 主イエスは父に頼っていたが、弟子達はまだ自分の力に頼っていた。自力で戦うことさえ禁じられた時、結局、弟子達は主イエスを見捨てて逃げてしまった。
3.頼るべき方を知っていた主イエスの落ち着き
- 主イエスは逮捕の場面でも、「わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今すぐわたしの配下に置いていただくことが、できないと思うのですか。(53)」と言われた。偉大な御力で敵を倒すこともできるが、そうするなら、ご人々の贖いをなしとげるという真の目的が損なわれる。「しかし、それでは、こうならなければならないと書いてある聖書が、どのようにして成就するのでしょう。」(54)
- イザヤ2:22には「人間に頼るな」と記されていた。では誰に頼るべきなのか。
- 全てを支配しておられれる方、愛に富み、悔い改める者を必ず赦してくださる方、正義を行い、罪を滅ぼすお方。それが父なる神。主イエスは父なる神に真に頼っておられた。だから、心に落ち着きを保っておられた。
- 私たちも父に信頼しよう。