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2022年11月13日 主日礼拝
1.弟子たちは叱った
- 人々は主イエスのところに病人たちや悪霊につかれた人たちを連れて来た。
集まる人が多いほど時間がかかるので、弟子たちは順番待ちさせたり、途中から集まって来た人々に事情を説明したり対応に追われていただろう。そんな中、幼子を祝福してもらおうと連れてくる人々がいた。
- 弟子たちは緊急性のない求めは排除すべきと思い、幼子を連れてきた人々を叱った。彼らは忙しさのあまり、主がこのことをどう思われるか尋ねもしなかった。
- 主イエスは「邪魔してはいけません」と弟子たちを叱った。マルコ10:14には主イエスが弟子たちに「憤って」とある。大真面目で主イエスのためにしていたつもりが、実は主のみこころを邪魔していた。
- 私たちの判断は神の考えと食い違う時があるので、主の邪魔をすることがないように、いつも主に尋ねよう。
2.主イエスは幼子たちを呼び寄せた
- 主イエスは子どもたちを呼び寄せ、弟子たちには「子どもたちを、わたしのところに来させなさい」と言われた。主イエスは子どもたちを待っていたのだ。
- 主イエスは何をされたのか?マルコ10:16「子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された」とある。奇跡が行われたのではない。しかし主イエスはそれをなさりたかった。そこには、子どもを祝福したいという思いと、子どもの姿から学ぶようにと言う大人へのメッセージが表されている。
3.子どものように神の国を受け入れる者でなければ
- 大人もかつて子どもだった時には、「受け入れる」素直な心を持っていた。しかし、しだいに心がかたくなになってしまう。
- 一面においてそれは成長。人に騙されないように、自分の心が傷つかないように受け入れるかどうか慎重になることも必要。しかし、「神の国」を受け入れないなら、神の国には入れない。
- 何を信じて何を信じないのかという判断が大切。判断の根拠は、正しいことば。神のことばが最も正しい。神のことばを聖書で聞き、聞いたならそれを子どものように受け入れ信じよう。
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