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2022年11月20日 主日礼拝
1.主はペテロの否認を予告されていた
- 主イエスは弟子たちに受難の予告をしていた。弟子たちは主のただならぬ決意を感じ取り、ご一緒なら牢獄も死も覚悟していますと語っていた。しかし主はペテロに、ご自分を三度否定すると予告された。(34節)
- 主は否認の予告だけでなく「あなたの信仰がなくならないように祈りました…立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(32節)とも言われていた。
2.主の予告通りにペテロは主を知らないと言った
- 主イエスが逮捕された時、弟子たちは逃れたが、ペテロはイエスが連行された大祭司の家の庭にまでこっそりついて行った。我が身を守るために逃れつつも、主イエスを見捨てられない気持ちも強かったのだ。主イエスのために何かできるかもしれないと思っていたのかもしれない。
- 人々に紛れて暖をとるための焚き火に当たっていると、その明かりで顔が照らされ、イエスの弟子だと言われ始め、ペテロはあわてて否定したが、その場を去らずに居続けたため、再び追求され、また否認し、ついに主イエスの予告通りにペテロは三度主を知らないと言ってしまった。
- 主イエスを思う気持ちと、自分の身を守ろうという思いと、どちらも持っていたが、どちらかしか選べないとき、我が身を守ろうとした。このペテロの姿を、笑うことはできない。私たちも同じような弱さを抱えている。
- だが、このとき、ペテロは主が聞いていることに気が付いていなかった。
3.主はペテロを見つめた
- 主は振り向いてペテロを見つめられた。どんな表情だったのだろう?
-責める恐い顔だったのか?
-愛する弟子にまで見捨てられ、切ない悲しげな表情を見せたのか?
-やはり言ってしまったねという苦笑か?
-優しく励まそうとする微笑みだったのか?
- 主イエスはペテロの否認だけを予告したのではなく、「あなたの信仰がなくならないように祈りました…立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(32節)とも言われていた。そのことばを思い出させようとしたのかもしれない。
- ここでペテロは主の否認予告を思い出し、外に出て行って大泣きした。結局、彼にできたのはそれだけだった。いや、自分の罪深さを認め泣くことこそが、彼のなすべきことだった。ペテロはユダのように自殺はせず、仲間のところに戻ることができた。激情のあまりに無謀なことをしなかったのは泣けたから。
- 私たちもペテロを責められない罪人。私たちがなすべきこともペテロと同じ。自分の罪深さを自覚し、何もつぐなえない弱さも認めるなら、ただ泣くしかない。
- ペテロが泣けたのは主の視線に気が付いたから。主はすべて聞いていた、自分のことをわかっていてくださったと知ったから。主は私たちのことも見ている。心の声まで聞いている。全てを理解した上で贖ってくださる。主に対してはすなおに心を開こう。
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