2022年11月6日 主日礼拝

ルカの福音書 21章25~36節
國分広士牧師

1.終末についての預言

  • この箇所の主イエスの終末預言の並行記事は、マルコ13章とマタイ24章に記されている。最初にマルコが書き、それを読んだマタイとルカがそれぞれの福音書に記載した。いずれも長文なので、大切な記事としてそれぞれが書いている。
  • 主イエスの預言自体は紀元30年頃。三福音書は紀元50-60年代半ばに書かれた。紀元70年のローマ軍によるエルサレム陥落においてこの預言はかなり成就した。福音書を読んでいたキリスト者は陥落前にエルサレムを脱出したという。
  • 預言は過去の出来事だけを指し示しているのではない。最終的な成就の前に、類似した出来事が起きることで、将来に備える信仰を教えている。

2.苦難の時代

  • 様々な苦難が起きる。10節の民族や国々の対立、11節の地震・飢饉・疫病は現代に起きている状況にもよく当てはまる。12節のキリスト者の迫害も、様々な国々で現実に起きている。
  • 苦難の中にも意味がある。13節に迫害が「証をする機会となります」とある。平穏無事な時を私たちは願うが、厳しい状況であればこそ信仰が明確になる。
  • まだこれから起きる出来事もある。25-26節の天体の異常現象や海の嵐で諸国の民が不安に陥って苦悩し、恐ろしさのあまり気絶するほどの出来事は将来起きる。
  • 最も大切なのは27節「そのとき、人の子(イエス様)が雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来る」こと。ついに主イエスが再臨される。それは、主イエスを救い主と信じる者たちにとっては「贖い」の日。

3.目を覚まして祈る

  • 私たちに終末時代に起きることが予告されている意図は、備えさせるため。何を備えるべきか。
  • 28節には「これらのことが起こり始めたら、身を起こし、頭を上げなさい」とある。苦しさと恐ろしさでひれ伏している者への励ましのことば。様々な恐ろしい出来事が起きて自分も滅びてしまうとおののくキリスト者を励ましている。
  • 望みは「贖いが近い」こと。31節には「神の国が近い」とも記されている。終末の出来事は私たちの贖い主が来るまえぶれなのだから、救いの前兆。天地は消え去っても主のことばは消えない。みことばを学ぶことが、良き備えとなる。
  • 再臨の主が来られる時には、喜んでお迎えしたい。34節「心が…押しつぶされていて、その日が罠のように、突然臨む」のは最悪。しかし主は思いがけない時に来られる。だから、36節「必ず起こる…ことから逃れて、人の子の前に立つことができるように」、備えていなさいと教えられている。その勧めの最後は、「いつも目を覚まして祈っていなさい」。
  • この場合の「眠り」は「放蕩や深酒や生活の思い煩い」すなわち、主から心が離れている状態。終末が近いからこそ、主を求め、祈って主を迎える心の備えをしよう。