2022年10月9日 主日礼拝

ルカの福音書 18章18~30節
國分広士牧師

1.永遠のいのちを受け継ぐには

  • この記事はマルコ10:17-30、マタイ19:16-29に並行箇所がある。総合すると、主イエスに尋ねたのは金持ちの青年(マタイ)指導者(ルカ)。彼は主イエスに駆け寄りひざまずいて尋ねる(マルコ)姿勢なので、悪意の質問ではない。主イエスも彼をいつくしんで(マルコ)答えているので、真面目な問いだった。
  • 彼は「何をしたら永遠のいのちを受け継げるか?」と尋ねた。若く裕福で社会的地位もあり、この世的には幸福を得ていたはずだが、彼は地上での幸福より神の国に入る方が大切であることを知っていた。
  • 彼は「良い(尊い)先生」(ルカ、マルコ)と、語りかけた。この語りかけに主イエスは「良い方は神ひとり」と応じる。マタイでは「どんな良いことをすれば?」という問いに「なぜ、良いことについてわたしに尋ねるのか?」と応じている。「神に尋ねるつもりで自分に聞いているのか?」と主は応答されたのだ。
  • 質問内容が良いか悪いかだけでなく、誰の答えを求めるのかという姿勢が重要。どんなに良い答えでも「あなたには言われたくない」と思えば拒絶する。金持ち青年指導者は主イエスが良い問いを答えられる良い方だと期待した。この会話は実に大切な時だった。

2.人にはできないことが神にはできる

  • 良いお方である神は、人に戒めを与えている。「何をしたら」という問いに対しては、すでの解答は与えられている。しかし、金持ち青年指導者は「少年の頃からすべて守っている」と言うので、神の戒めを守るだけでは足りないと考えていたようだ。
  • 主イエスは、彼の足りない点を指摘されるため、「財産をすべて貧しい人に分け与え、自分に従え」とチャレンジされた。彼は非常に悲しんだので、実はそれが彼の泣き所だった。永遠のいのちが大切と思いつつ、地上の宝も捨てられないのである。結局、どちらが本当に大切なのか?神なのか?金なのか?
  • 主イエスは「富を持つ者が神の国に入るのは難しい」と言われた。その難しさは「らくだが針の穴を通る方が易しい」というほど。この「らくだ」を綱と解したり、「針の穴」を「小さな低い門」と解する人もいるが、要は不可能に近いという意味。だからこそ聞いていた人々は「それでは誰が救われる?」と思った。
  • 主イエスは「人にはできないことが、神にはできる」と話を結ばれた。

3.神の国のために大切なものを捨てる

  • 12弟子は主イエスの弟子になる際に、自分のものを捨てて従ったので、自分たちはどうなるかとペテロが尋ねた。これはあの金持ち青年指導者が聞くべきことばだった。この場で聞けなくても後で間接的に聞くことになるだろう。
  • 主イエスは「神の国のために」大切なものを犠牲にするなら、地上でも報われ、神の国でも永遠のいのちを受けると答えた。「神の国のため」という点が重要。すなわち、「金より神」と本気で信じる者を、神も祝福してくださる。
  • 統一協会の多額献金の問題が注目されている。それは地上での不幸を生む源だから。主イエスが約束されたものとは違う。額の問題ではなく誰に献げるかが問題。献げる相手を正しく選ぼう。「神の国」を求めるなら、「神の国」に入れてくださる方として主イエスを信じよう。