コンテンツへスキップ
ナビゲーションに移動
2022年10月2日 主日礼拝
1.神の国
- ルカの福音書には、頻繁に「神の国」ということばが出てくる。4福音書とも出てくることばだが、ルカが最も多い。なおマタイの福音書では「天の御国」、ヨハネの福音書では「永遠のいのち」ということばで、同義の教えが語られている。一つの表現では言い切れない豊かな内容があるからなのだろう。
- 「神の国」という言い方の場合、神の支配が強調される。「天の御国」はこの世との違いが強調され、「永遠のいのち」は、完全さが強調される。それぞれに大切な内容。一つの意味だけで考えると誤解も生まれやすいので、バランスよく理解したい。
2.いつ?
- パリサイ人たちは主イエスに、神の国はいつ来るのかと尋ねた。彼らは神の国とは、かつてのダビデ王朝のような、神制政治が樹立することをイメージしていたようである。そのような理解の仕方は主イエスの弟子たちの間にもあった。
- この質問を主イエスに向けたのは、主イエスが王となってイスラエルをローマ帝国から独立させてくれるのではないかという人々の期待を背景にしている。主イエスの話を聞きに多くの群衆が集まる様子を見れば、気になるのは当然だろう。
- だが、この質問は、主イエスの語っておられる「神の国」を誤解している。ダビデ王朝の神制政治でも、結局は地上の王という人間による支配だった。しかし主イエスは神の支配を語っている。11:20では悪霊の追い出しについて語る中で、「わたしが神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。」と言われていた。
3.神の国はあなたがたのただ中にある
- 「目に見える形」とは、ある時代のある地域における理想的な支配体制というような意味だろう。主イエスは神の国とはそういうものではないと明言された。良い支配の実例があるなら賞賛されるべきだが、それをもって神の国と言うわけではない。
- 主イエスは「見なさい」と言われた。そこで何が見えたのか?そこには主イエスがおられた。神の御子が、私たちの救い主が、やがて全てを正しく裁くお方がそこにおられた。
- 主イエスは神の国の支配者。主イエスを信じ従う者は神の国の一員。また主イエスは今も天で私たちをとりなしてくださっている。やがて良い時代が来ると将来に期待するだけでなく、今、ここにおられる主イエスに従おう。神の国は私たちのただ中にある。
PAGE TOP