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2022年5月15日 主日礼拝
1.少年イエスの記事
- イエス様の少年時代の記事はここしかない。普通の赤ちゃんとして生まれたイエス様は、どのようにしてご自分が神の子であることを意識されるようになったのか。また、親として少年イエスを育てるヨセフやマリヤは、少年イエスをどう理解していたのか。この記事はそうした疑問に光を射す。
- 両親は毎年過越の祭に、居住地であるナザレからエルサレムに登った。1年の稼ぎの大半はこの旅に消費されただろう。祭とは礼拝。日本の祭も神社の礼拝。楽しくてもレクレーションではない。異教の礼拝に参加するのは偶像崇拝。
- 「一行」(44)という表現から、ナザレの人々は集団で祭に来ていたと思われる。祭が終わり帰路につき、イエスの姿が見えなくても一行の中にいると思ったのは、かなりの大人数だったということ。親族や知人の中を捜し回ったのは、ナザレの人々が家族的な親しい交わりを持っていたことを想像させる。後に郷里でみことばを語った時には「この人はヨセフの子ではないか」(4:22)と驚かれた。
- 公生涯前のイエス様は普通の人として歩まれていたが、神の子である片鱗を見せた思い出として、マリアが心に留めておいた(51)のがこの出来事。
2.イエスを捜した両親
- おそらくそれまでのイエス様は、「心配で目を離せない子」ではなく、「放っておいても大丈夫な子」だったのだろう。ところが1日たってもいないので、両親は捜しながらエルサレムまで引き返した。それにも一日かかるので、二日間、イエスは両親と離れて過ごしていた。
- 三日目にエルサレムまで引き返した両親は宮でイエス様を発見した。両親はきっとイエスは一人きりで困り果てていると予想したのだろうが、実際は、宮に集まる律法の教師たちの真ん中に座り、平然と話し合っていた(46)。教師たちはイエスの知恵と答えに驚いていた(47)ので、対等以上に語り合っていた。
- 三日間、両親と離れたイエス様は、食事はどうしたのか?誰かに食べ物をもらったのかもしれないが、食べずに過ごしたのかもしれない。後にイエス様は「人はパンだけで生きるのではない」と言われた。食べること以上に、みことばを学ぶことでイエス様は満たされていたのではないだろうか。
3.どうして
- 母は「どうして」と責めた。イエス様が一行の動きに合わせて行動せずに、エルサレムに残ったため、自分たちを心配させ、困らせたと怒った。
- イエス様は「どうして」と尋ね返した。両親は自分の所在がわからずに困ったと言うが、自分が「父の家」すなわち神の宮にいるのは当然なのに、他のところを捜したのはなぜかと問われたのだ。イエス様のことばから、ご自分を神の子とを意識されていたことがわかる。両親は自分が生まれる前から、神の子だと思って産み育てたはずなのに、忘れてしまったのかと問われておられるのだ。
- 受胎告知など天使の告知が続いてた時にはイエス様を特別視していたが、特殊なことが途切れ、マリアはイエス様が本当に神の子かわからなくなっていた。
- イエス様がどこにいるのかわからない時は神の宮を捜そう。主イエスを信じる者こそ神の宮。(コリント第一3:16,6:19)主はともにおられる。
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