2022年5月22日 主日礼拝

ルカの福音書 4章1~4節
國分広士牧師

1.聖霊に満ちて

  • 聖書には聖霊に満たされて神のわざを行なった人々が多く登場する。主イエスもバプテスマを受けた時、聖霊が鳩のように彼に下った。
  • しかし主イエスはもともと神の子なのだから、聖霊の助けは不要ではないのか?
  • 主イエスはあえて、聖霊に満たされた者が神のみこころを行う模範となられた。それにより、私たちも聖霊に満たされることを求めるよう励ましている。

2.石をパンに

  • 荒野における40日の断食は、通常ならすでに死んでいる。このとき、主イエスの肉体は死ぬすれすれの極限状態だったはず。
  • 悪魔は親切そうに「死んではいけない。何か食べ物が必要。神の子の力で石をパンにすれば、助かる!」とアドバイスする。
  • このタイプの誘惑は私たちもよく経験する。「本当はいけないことだけど、今は、しかたがない。」と言い訳をして、本来するべきでないことをしてしまう。
  • しかし、本当に、しかたがないのだろうか?

3.神は何と言われたのか

  • 主イエスはどう答えたのか。「『人はパンだけで生きるのではない』と書いてある。」と、聖書を引用された。
  • 申命記 8:3 それで主はあなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの父祖たちも知らなかったマナを食べさせてくださった。それは、人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口から出るすべてのことばで生きるということを、あなたに分からせるためであった。
  • 私たちは、もともと神のことばで造られた。また、神のことばで生かされている。神が許さなければ、食べ物があっても生きられない。
  • 「食べ物がなければ生きられないから、食べ物を得るための罪はしかたがない」と考えるのは、いのちを創造した神の意思を無視している。悪魔はそうやって、人を神から引き離そうと、巧妙に誘惑するのだ。
  • この悪魔の誘惑に、私たち普通の人間でも用いることができる方法で、イエス様は勝利された。それは適切なみことばの引用だった。
  • 非常時にも、役立つみことばが心に浮かぶなら助けられる。私たちもみことばが与えられるように、いつも聖書を読み、心にみことばをたくわえよう。