2022年4月15日 受難日夕拝

ヨハネ 19章12~42節
國分広士牧師

1.「ユダヤ人の王」と書いたピラト

  • 主イエスの十字架の上には罪状書きがつけられていたことは4福音書とも記している。
    • マタイ27:37 彼らは、「これはユダヤ人の王イエスである」と書かれた罪状書きをイエスの頭の上に掲げた。
    • マルコ15:26 イエスの罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。
    • ルカ23:38 「これはユダヤ人の王」と書いた札も、イエスの頭の上に掲げてあった。
    • ヨハネ19:19 ピラトは罪状書きも書いて、十字架の上に掲げた。それには「ユダヤ人の王、ナザレ人イエス」と書かれていた。
  • 微妙に書きかたが異なるが「ユダヤ人の王」という点は4福音書とも共通している。
  • この罪状書きにユダヤ人たちは「自称ユダヤ人の王だ」と不服を申し立てたが、ピラトは却下した。ピラトは14、15節でもイエスを「おまえたちの王」と呼んでいた。
  • ユダヤ人たちは「自分を王とする者はみな、カエサルに背いています。(12)」」「カエサルのほかには、私たちに王はありません。(15)」と答えたが、それはローマ帝国への忠誠者か反逆者かという問題であり、イエスがユダヤ人の王であるかどうかという事とは論点がずれていた。
  • ピラトはユダヤ人たちの圧力に屈して不本意な判決を出した。彼は、ローマ帝国に対する反乱の芽を摘むために、義人であるユダヤ人の王イエスをやむなく犠牲にしたのだ。本当はイエスをこう評価しているという意思をピラトは罪状書きに表明した。それは信仰告白にも近い。主イエスの真実な態度がピラトに「ユダヤ人の王」と書かせたのだ。

2.聖書が成就するため用いられた兵士たち

  • 24節には、兵士たちが受刑者から剥ぎ取った衣服を分ける際、下着をくじ引きにしたのは「聖書が成就するためであった」と記されている。
  • 28節にも聖書が成就するためだったと記されている。
    「わたしは乾く」→詩篇22:15「私の力は土器のかけらのように乾ききり舌は上あごに貼り付いています。」
  • 兵士が酢いぶどう酒をイエスの口に→詩篇69:21「彼らは私の食べ物の代わりに毒を与え私が渇いたときには酢を飲ませました。」
  • 36節にも、受刑者の死を早めるために脚を折ろうとしたが、すでに死んでいたのでイエスの脚を折らなかったのは、聖書が成就するためであり、その際に死亡確認のため兵士がイエスの脇腹を槍で刺したことも、聖書に書かれているからだと記されている。
  • 聖書(旧約聖書)は救い主(メシア=キリスト)の到来を預言している。そうした預言の成就によって、イエス様こそ約束の救い主だということが確認される。兵士たちの無意識の行動も預言の成就のために用いられたのだ。このように神はあらゆる人をご自分の計画のために用いるが、積極的に主の意思に応える者はより幸いである。

3.主イエスの母を引き取った弟子

  • 十字架の上で主イエスが語られたことばは印象的。ご自分の母マリヤと愛する弟子(ヨハネ)がいるのを見て優しく語りかけた。激しい苦しみと死すれすれの恐怖の中でも、自分のことだけでなく人を心配して愛の言葉をかけたのは、心の奥底からの真実な思いだったということ。真実な心を持っておられたことも、彼が神の子であることの証明。
  • ヨハネは主イエスの思いに応えてマリヤを家に引き取った。主の真実な心がヨハネを動かした。私たちも主イエスの真実な心をよく知り、その思いに応えよう。

4.主イエスを埋葬したアリマタヤのヨセフとニコデモ

  • 人が死ぬと、すぐに埋葬が問題になる。十字架刑になった罪人の埋葬となると、手を出すのは勇気がいるが、二人の意外な人物が志願した。一人はアリマタヤのヨセフ。マタイ27:57では「金持ち」、マルコ15:43では「有力な議員」、ルカ23:50-51には「議員の一人で…議員たちの計画や行動には同意していなかった」。彼は主イエスを信じていることを隠していたが、勇気を出して埋葬を志願した。
  • また、3章に登場したニコデモも埋葬を手伝った。彼も議員。彼らは主イエスの処刑を食い止められなかったが、せめても自らの手で埋葬をすることで、主イエスを崇めた。
  • 立場ある人は立場のゆえに態度表明に慎重になりやすい。彼らに主イエスを信じる思いを表明させたのは、主イエスの死だった。主イエスはご自分の死で彼らに告白の機会を与えたのだ。私たちにも主イエスの栄光を表す機会が与えられる。機会を与えられたならば、勇気を出して、主イエスを信じると告白し、主イエスの栄光を表わそう。