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2021年8月22日 主日礼拝
1.民は主が命じられたとおりに行なった(39:42-43)
- イスラエルの民は、主のことばに従わず、偶像を造る失敗を犯したが、幕屋を造る命令に関しては、主が命じられたとおりに行なった。
- 幕屋は作成するものが多く、一つ一つについての注文も細かい。主のことば通りに行うことには困難もあっただろう。注文と多少違ってもよいのではという意見もあっただろう。そうした迷いを乗り越えたということ。
2.主は会見の幕屋を栄光で満たした(40:34-35)
- 忠実に従ったイスラエルの民を主は祝福された。完成した会見の天幕を主の雲がおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。あまりにも栄光が満ちているので、山で主と顔を合わせて交わったあのモーセですら、会見の天幕に入れなかった。主がイスラエルの忠実さを喜ばれたことを示している。
- イスラエルの忠実さはいつまでも続くわけではない。カナンの地に近づき、代表者を派遣して偵察した時には、相手が強すぎてとても勝てないと尻込みし、モーセに反抗してエジプトに帰ろうと言い出すことになる。(民14:1-4)
- 主は将来のこともご存知。それでも、この時の民の忠実さを喜び、栄光を満たされた。主は「喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣く」(ローマ12:15)。
3.主は雲で行動を示し、民は雲の動きに従った(40:36-38)
- イスラエルは約束の地カナンを占領するまで、定住せずに旅を続けた。その旅路の間、いつも主の雲が先立って導いた。
- 民は、雲が止まれば止まり、雲が上がれば、旅立った。その様子は民9:17-22に詳しく記されている。
- 注目すべきは、雲が上らないと、上る日まで旅立たなかったこと。どんどん行動するのも大変だが、じっと待つのはさらに大変。自分のペースで動いたり止まったりするのは簡単だが、主を信頼していないと、主のペースに従うことは困難。
- 待てたところに、主への信頼を見ることができる。今、私たちも、忍耐強く待つことが必要な時。主がきちんと計画的に導いてくださっていることを信じ、耐え忍ぼう。
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