2021年8月29日 主日礼拝

マルコ 2章14~17節
國分広士牧師

1.マルコの福音書

マルコの福音書は、新約聖書の書物の中で、最も早く書かれたと考えられている。
執筆者マルコ(使12:12)は使徒ペテロが主イエスについて語ったことをまとめたと思われる。
内容は、主イエスの公生涯から十字架の死と復活まで。直接主イエスを知らない新しい信者のため、主イエスがどういうお方なのかを伝える目的で執筆されたと推測される。奇跡に関する記述が多く全体の三分の一に及ぶ。神の子の権威を示しているのである。1:22では主イエスの教え方が律法学者の様でなく権威ある者として教えたと記されている。学者は自分の研究を根拠に語る。しかし主イエスは神の子の権威に基づいて語られたのだ。

2.弟子として主イエスに従うレビ

  • 取税人であったレビが主イエスの弟子として召された。「わたしについて来なさい」と主イエスが言ってくださったことは大きい。自分の意思だけではなく、主イエスの招きが私たちには必要。
  • 主イエスが招いても、従うかどうかは自分で決めること。レビは取税人だったので、その決断はより厳しかっただろう。取税人はローマ帝国の役人。当時のユダヤはローマ帝国の属国であり、多額の税金を納めていたが、人々から税金を徴収する役人は現地雇用だった。取税人は一般人からはローマの手先とみなされ、また私腹を肥やすため罪人とみなされ、非常に嫌われていた。あえて取税人であるレビを、しかも収税所で勤務中に主は招き、レビは招きに従った。驚きの光景だっただろう。
  • レビの心理は記されていないが、彼なりの葛藤もあっただろう。それを乗り越え弟子となった彼は、やがてマタイの福音書の執筆者となる。

3.医者を必要とするのは病人

  • レビは主イエスの弟子になったことを公にするため、自宅で会食の席を設けた。そこには主イエスと弟子たちだけでなく、レビの仲間の取税人たちや、取税人同様、人々から罪人呼ばわりされている人たちが招かれた。レビは仲間にもイエス様に会って欲しかったのだろう。
  • 会食の様子を知ったパリサイ派の律法学者は、「なぜイエスは罪人たちと食事しをするのか」と疑問に思い、弟子たちに尋ねた。会食は親密な関係を表すので、イエスも罪人の仲間だと感じるのである。この疑問を、直接イエスに尋ねないで弟子たちに尋ねるところに、パリサイ人の動揺も感じる。
  • 主イエスは、耳にしたこの問いに、きちんと答えられた。大切な問いだと思われたのだ。主イエスはレビの決断を皆も模範として欲しかったのだ。
  • 「医者」は主イエス。「病人」はレビのように従う者。丈夫な人は医者を必要とせず、その言うことにも従わない。これは「自分には主イエスが必要」という自覚があるかどうかを問う言葉。
  • デルタ株に感染すると、無自覚のうちにウイルスを撒き散らすという。何も自覚症状がなくても、自分も危険かもしれないと考えなくてはならない。罪も自分が罪人である自覚がなくても罪の毒を撒き散らす。自分には救い主が必要だと自覚できた人は幸い。
  • 罪人を招く主イエスに従おう。