2021年7月25日 主日礼拝

出エジプト 31章12~17節
國分広士牧師

1.「わたしの安息」(13)

  • 安息日は、主が六日間で天と地を造り、七日目にやめて、休息したことに由来する。安息日の制定者は造り主なので「わたしの安息」と主は言われた。
  • 安息日の目的は人間のため。出23:12には「六日間は自分の仕事をし、七日目には、それをやめなければならない。あなたの牛やろばが休み、あなたの女奴隷の子や寄留者が息をつくためである。」とある。
  • また主イエスは「安息日は人のために設けられたのです。人が安息日のために造られたのではありません。」(マルコ2:27)と教えられた。
  • 造り主を尊んで安息を守ることが、人間自身を守ることにもなるということ。

2.「聖なる全き安息」(15)

  • 「聖」の反意語は?「悪」ではなく「俗」。聖俗の区別が重要。
  • 6日は俗で、安息日は聖。「全き安息」とは、6日間は働き7日目は休むこと。なぜなら6日間と違う日だから。
  • 休むことに罪悪感を感じる感覚があるが、6日間をサボることに罪悪感を感じるべきであり、安息に休むことに罪悪感を感じるのは聖書の教えではない。
  • 悪との区別なら明確でわかりやすいが、聖俗の区別は曖昧になりやすい。
  • ウイルス感染予防の営みは「清潔・不潔」の区別の努力。わずかでもコロナウイルスが入り込めば危険。きよい領域を守ろうと、人は消毒に勤しむ。そのうな高い意識で聖俗の区別の努力をしているだろうか。
  • 聖は神の領域。主を信じるとは、神の領域に入るという姿勢。神への恐れが前提にある。

3.「わたしとイスラエルの子らとの間のしるし」(17)

  • イスラエルは主に従うと約束した。19:8 民はみな口をそろえて答えた。「私たちは主の言われたことをすべて行います。」
  • 主に従うかどうかは、安息を守ることに明確に現れる。
  • 伝統的なキリスト者が主日礼拝にこだわる根拠はここにある。神を第一にしようという姿勢の現れ。
  • ニュータイプのキリスト者もおり、主日礼拝へのこだわりは形式主義だと批判し、いつでも礼拝するし、いつでも働くという姿勢を主張する人々もいる。みことばの真意を問う問題意識と受け止めるが、「形式主義」と簡単に捨てるのは、「しるし」を軽視している。
  • 形式的には主日礼拝を遵守し、「しるし」を示している者も、主を深く愛しているのか自問して、心から主に従う思いで礼拝に参加しよう。