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2021年7月11日 主日礼拝
1.契約の書
- 20章の十戒は民の皆が聞いた。しかし民はモーセから間接的に聞くことを望んだ(20:19)ので、23章までの教えはモーセが神から聞き、民に伝えた。
- 民はモーセに対して「主の言われたことはすべて行います。」(3)と答えた。
- モーセは主のすべてのことばを書き記した。これが「契約の書」(7)。翌朝には祭壇を築きいけにえをささげるので、その日のうちに書いたようだ。モーセはかなり忙しい。
2.契約儀式(契約の血)
- 翌朝、モーセは祭壇を築き全焼のささげものと交わりのいけにえを主に献げた。このとき血の半分は祭壇にふりかけ、半分は民に振りかけ(8)るために残した。
- モーセは書き記した契約の書を民に読み聞かせた。民は「主の言われたことはすべて行います。聞き従います。」(7)と答えた。
- 民の応答のことばを聞いた上でモーセは血を振りかける。血はいのちをあらわす。誓いはいのちがけ。
主イエスの裁判の時、民はみな答えた。「その人の血は私たちや私たちの子どもらの上に。」(マタイ27:25)
誓いをやぶるなら死を覚悟するということ。 - この血の報いを、主イエスが私たちの身代わりに受けられたのだ。
3.契約調印記念パーティ(神の前での会食)
- 神と契約を結び、正式に神の民となったイスラエルは、その代表者たち(モーセとアロンとアロンの子らと、長老70人)が神のみもとに招かれ会食をした。(9)
- このとき、代表者たちは神を見た。その光景は「彼らはイスラエルの神を見た。御足の下にはサファイアの敷石のようなものがあり、透き通っていて大空そのもののようであった。」と記されている。
- この記述はエゼキエル1:26と似ている。「大空のはるか上の方には、サファイアのように見える王座に似たものがあり、その王座に似たもののはるか上には、人間の姿に似たものがあった。」
- 人は罪深いので、神を見たら死ぬという恐れがあった。しかし神は招いた人たちに手を下さなかった。赦し受け入れたのである。
4.神を見た経験は役立ったのか
- ここまでの経験ができる人たちは滅多にいない。偉大な経験で信仰が成長することが期待されるが、このあと彼らはモーセが山から降りて来ない間に堕落して、偶像崇拝をしてしまう。偉大な経験をすれば自動的に成長するのではない。
- この経験の大切な意義は、モーセが確かに主にお会いしていたことの証明となったということ。特殊な人ではない一般人が主にお会いしたので、彼らの証言により、モーセが誰に会っていたのかがよくわかるのである。それにより、モーセの書が確かに主のことばであることを私たちが信じる根拠となった。
- 私たちは主を見ていないが聖書をいただいている。聖書をよく学び「主の言われたことはすべて行います。聞き従います。」と主に答えよう。
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