2021年7月4日 主日礼拝

出エジプト 23章1~13節
國分広士牧師

1.神のご性質は愛と正義

  • 私たちは愛も正義も大切だと感じるが、両立は難しいとも感じる。正義を重んじれば、愛を抑えなくてはいけないように思うし、愛を重んじれば、正義を抑えなくてはならないように感じる。愛と正義を区別した方が理解しやすい。
  • しかし、神は十戒のことばに続いて、具体的な戒めを与えるが、その言葉の中には愛と正義の思いが両方示されている。神には愛と正義の区別がなく、愛の欠如が不正義だと考えておられる。罪の性質を持つ人間と違い、聖い神は愛と正義を両立とも完全に行われ、ご自分に従おうとする者にもそれを求められる。

2.訴訟における証言とさばき

  • 訴訟において陥りやすい過ちとして「多数派につく」問題が指摘される。(2節)
    みんながそう言っているからと真実を歪める証言をするなら、主は「悪意のある証人」と見られ、(1節) 悪人は正しいとされない。(7節)
  • また、弱者を配慮するあまり、有利な判決を下すことも戒められる。(3節) それは真実な愛ではない。さばきは公平でなければならない。
  • 富む者は賄賂で訴訟を有利にしようとすることがある。さばき人は賄賂を受け取ってはいけない。(8節) 賄賂を贈る余裕のない貧しい者はさばきで軽んじられやすい。誰に対してもさばきを曲げてはいけない。(6節)
  • 誰に対してもフェアであるべきことはわかりやすい。しかし、人が本当に、誰に対しても真実を尽くすかどうかは、その人自身にとっての敵(憎む者)が困っている時に、どういう態度をとるかに表される。(4-5節)
  • イスラエル人にとって家畜は生活を支える大切な存在。時に、誰かの家畜が迷子になっていることもある。友人の家畜なら、当然、友のところに連れ帰る。しかし、敵の家畜だったら…主は必ず連れもどせと言われる。この愛は義務。
  • ろばは荷物運搬に重宝するが、あまりにもたくさんの荷でバランスを崩して倒れ、自力で起き上がれず困っている状況に接することもある。それが敵だったらどうするか…主は「一緒に起こせ」と言われる。この愛も義務。
  • 敵とはいえ、助けてくれればうれしい。和解の機会になるかもしれない。

3.社会的弱者への配慮

  • カナンに定住後、イスラエル人は自分たちの土地が与えられるが、寄留者には相続財産はない。あえてイスラエルの中に住むことを選んだ寄留者は、イスラエル人に雇われて生活する社会的弱者。
  • 主は安息日や安息年は、社会的弱者への愛を表す時だと教える。七年目の安息年は、種をまいたり収穫したりしない。それでも自然と実るものは、貧しい人々や野の生き物が食べるためだと言われる。(11節)
  • 7日目の安息日は仕事を休むが、それは6日間働いた、家畜や奴隷や寄留者が息をつくためだと主は言われる。(12節)
  • 休まず働くことを美徳と考えるのは、働く「人」よりも「収穫」を愛するから。しかし収穫は主が与えるものと考え、主と人を大切にして休むべき。
  • 主と人を大切にすることを教えるのが律法。「正義だけ」「愛だけ」というのは歪んだ教え。主が教えてくださったのは「愛の律法」なのだ。