2021年3月7日 主日礼拝

詩篇 46篇1~3節
國分広士牧師

1.神こそが避け所

  • 「避け所」とは「避難所」。東日本大震災から10年。追悼番組などで色々なことを思い出させられる。避難所のことも。避難して助かった方はよかったが、避難所に移動中に渋滞した車が、津波に流された場面を思い起こす。避難所自体が津波に襲われた所もあった。真に避難すべき所は神。

2.苦しみの現実

  • 2節3節の「山々が揺れ」「水が立ち騒ぎ」といった表現は、地震のような天変地異を思い起こさせる。イスラエルはユーラシア大陸とアフリカ大陸のプレートがせめぎ合う故に地面がめりこむ大地溝帯に位置している。そのため地震頻発地帯なので、しばしば大地震に見舞われてきた。日本と似ている。
  • 現在の苦しみの代表は新型コロナウイルス感染。ワクチンが出回ってきて、これで助かったと思うが、しかしまたいつ、次の新型ウイルスが出現するかわからない。常に苦しみがある。
  • 人生には色々な苦しみがあるが、人間の力ではいかんともしがたい苦しみにあうとき、人間の力を超えた助けが必要であることを覚えさせられる。 
  • 肉体的な苦しみだけが危機ではない。実は罪の問題は、肉体の苦しみ以上の大きな問題。罪は真の避難所である神に逆らい、神のもとに行くことを妨げる。

3.われらは恐れない

  • 神こそ助けだと告白しているところが大切。しかも「強き助け」と。神にとってできないことはない。また、先の先まで知っておられる。しかも私たちを心から愛し、助けたいと思ったおられる。
  • 「神はわれらの避け所」と告白ができたものは、「それゆえ われらは恐れない」という平安をいただく。
  • 平安をいただいた者は、神は苦しみも益に変えられるお方であることを実感する。

神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。 ローマ8:28