2020年12月13日 主日礼拝

マタイ 6章9節~13節
國分広士牧師

1.主の祈り

  • 主イエスは私たちに祈りの模範を教えてくださった。その前に、主は見せかけの信仰深さを戒める。祈りにおいてのみせかけの例として、いかにも敬虔そうな祈りのポーズや、祈りのことば数の多さを指摘された。私たちも自分の祈りに、人の評価を得ようとする計算がないか自戒しよう。
  • 神はどこでも見ておられるから、一人になって祈ることは重要。祈りには三つの局面がある。皆の前で一人が祈る「代表の祈り」と、数名で祈り合う「祈りの交わり」と、一人きりで祈る「密室の祈り」。どの局面においても、基本的に同じ思いで祈っているか自問しよう。他の人が共にいる時と同じ気持ちで、密室でも祈っているだろうか。一人だと真剣に祈らないなら問題。
  • 同じことばを繰り返すのは、回数が多い方が評価されると考えるから。しかし永遠に生きる方に回数で評価してもらうのは無理。
  • その戒めの上で、模範的な祈りのことばを主イエスは教えられた。

2.誰に、どういう心の姿勢で、何を祈るのか

  • 祈りにおいて決定的に重要なのは、誰に祈るのか。見せかけの祈りは実は人に祈っている。日本人は祈る対象を意識しないことが多い。「なにごとの おはしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるる」という西行法師の歌はそうした心情をよく現している。しかし主イエスは祈る相手は「父なる神」すなわち造り主だと教えた。他のものに祈るなら、造り主への反逆になる。
  • 祈りの姿勢は、神は全てを支配しており、一番良いことをなさるはずだと、神の主権と真実を信頼していること。「みこころが天で行われるように」ということばに、その信頼感がよく表われている。
  • 天ですばらしいみこころが行われているように、「地でも(みこころが)行われますように」と求めることを主イエスは教えた。地は罪が満ちており、天のような理想的な状況ではない。それでも崩壊しないように神が支えてくださっているから、私たちは保たれている。神のみこころの実現が、私たちにとっても最善なのである。

3.天使たちの歌「地には平和が」

  • ルカ2:14で、天使たちは「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」と歌った。これも、主の祈りと同じ信頼感を表している。天使たちは神の栄光を実際に見ている。その素晴らしさを知っている者が地にいる人々に目を向ける。地上における数々の問題が目に入ることだろう。だからこそ、平和を願う。
  • 「みこころにかなう人々」と天使は言った。天と違い罪に満ちた地において、それでも神の栄光を反映させる存在として「みこころにかなう人々」がいる。真っ暗な夜空に星が美しく輝くように、この地において平和をもたらす存在は輝く。神のみこころを反映して輝く。
  • わたしたちは、まだ地にいる。地にいる限りは、神のみこころを示す存在として生かされたい。この地上においても、神がみこころを見せてくださるように求めよう。