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2020年12月6日 主日礼拝
1.光はどこで輝かせるのか
- アドベントに入りローソクが灯った。現代では雰囲気のために灯すが、昔は生活上必要なあかりだった。一つのローソクが家にいる全ての人を照らした。暗闇の中では、小さなともしびでも大きな影響をもたらす。
- 闇は罪の世の現実。それを照らす光は、罪からの救いの教え=福音を表していると考えられる。なぜなら、教えの直接の対象の「あなたがた」は主イエスの弟子(5:1)。弟子たちとは主の宣教(4:17)を信じ、主の招き(4:19)に応えて従った者たち。彼らの光は福音以外には考えられない。
- 福音を知らない人々は、罪の問題の深刻さを意識しない。暗ければ汚れていても気づかないように。しかし、光に照らされ汚れに気づけば、汚いままではいけないと思い始める。
- この世の教えは、罪という根本的な問題には目を向けず、人々との競争における勝利や、自己実現・自己満足が最も大切であるように教えるが、それでは罪は消えないので、闇のまま。世は暗い。真の光が必要。
2.どう輝かせるのか
- ローソクは燭台の上に置いてこそ、周りをてらせる。私たちは福音の光を、どう輝かせれば良いのか。主イエスは「あなたがたの良い行い」と言われた。
- 真に罪を悔い、主イエスが十字架で自分の罪を贖ってくださったことを信じ、罪を告白する人には、何かしら生き方の良い変化が生まれる。それが「良い行い」と評価される。ただし、評価は自分自身ではなく他者がすること。自分で良くなったと思えるかどうかは別問題。
- 「人々の前で輝かせなさい」ということは、積極的に、神が喜ばれることをしなさいと勧められているのだろう。誰も気がつかないところでそっと行っている良いことも、やがて知られる時が来れば、輝くことになる。
- 隠す心理は、恥ずかしさや、妬み中傷を恐れる自己防衛心。恐れを主にゆだねようとするなら、信仰の訓練になる。
3.父をあがめるようになるため
- 良い行いは、福音をあかしする。人々は行いを見て、それを行う人の心に真実なものがあることに気がつく。
- 人々が、私たちの心に、罪を赦してくださる主イエスを与えてくださった父なる神への感謝があることに気がつくなら、幸い。
- 主イエスは、一人一人の心の奥底の問題を探り、へりくだって父なる神に赦しを求めさせようとする。そのために私たちも用いていただきたいと願う。
- まず自分の罪を認めて告白しよう。そして、主イエスが自分の罪の身代わりに死なれたことを信じよう。そして、救い主イエス・キリストを私たちに与えてくださった父なる神に感謝しよう。そうすれば、必ず良い行いをしたくなる。
- 心に良い願いが与えられたなら、主に祈りつつ、実行しよう。あえて見せなくても、主が見せようと思う人が必ず見る。
※アフガニスタンで殺害された中村哲医師は西南学院中学校在学中に日本バプテスト連盟香住ヶ丘バプテスト教会(福岡市)でバプテスマを受けたクリスチャン。娘は父の死後に、父の行いの価値を知り、ペシャワール会事務局で活動するようになった。
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