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2020年9月20日 主日礼拝
1.「変貌山」の出来事
- この記事は「変貌山」と呼ばれる不思議な出来事。弟子のうち三人だけを連れて山に登った主イエスが、祈っているうちに「御顔の様子が変わり、その衣は白く輝いた」。並行箇所のマタイ17:2では「顔は太陽のように輝き、衣は光のように白くなった。」マルコ9:2では「その衣は非常に白く輝き、この世の職人には、とてもなし得ないほどの白さであった。」とある。
- さらにもう二人の人物が表われ主イエスと語り合う。モーセは主イエスより1500年ぐらい前の人物で、聖書最初の書物・モーセ五書の著者。エリヤは主イエスより800年ぐらい前の人物で、旧約聖書の代表的な預言者。
- 彼らが話し合っていた話題は、主イエスの最期、十字架についてだった。
- 弟子たちは最初眠かったが、はっきり目が覚め、ペテロは、モーセ、エリヤの名前も語っているので夢ではない。
2.変貌山の出来事が垣間見せる天国
- 聖書には時々、この記事のような、通常とは異なる状態が出てくる。それは、私たちが日常的に経験しているのとは異なる現実があることを示している。
- そこでは主イエスは輝く姿になる。光り輝く姿は、主イエスの栄光を表しているのだろう。モーセも、主と顔と顔を合わせて語ったあと、顔が輝き、人々はその顔を見るのを恐れたので顔に覆いをした。(出エジプト34:30-35)
- また、地上の人生を終えた主のしもべが、生き生きと存在している。モーセもエリヤも、主に忠実に従ったしもべだったので、当然、天国の住人のはずである。彼らは主の救いの計画の中で最も大切な十字架を前にし、主イエスとそのことを語り合う。固唾を飲んで天国から見ていたのだろうか。まるで試合中にタイムをとり、ベンチにいるチームメンバーと語り合うような場面である。モーセもエリヤも、生きていた時と変わらない様子のようである。
- この変貌山の様子は、まるで天国の様子を垣間見せているように思える。
3.雲の中からの主の声
- この類の不思議な出来事でよく出てくるのが「雲」(35)。雲は多くの事柄を隠す。申命記29:29には「隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし現されたことは永遠に私たちと私たちの子孫のものであり、それは私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである。」とある。隠されている部分は詮索しすぎないほうがいい。現された部分に注目しよう。
- では現されたことは何か。「これは私の選んだ子。彼(主イエス)の言うことを聞け。」とのご命令は明確。主イエスを信じ、従うことこそ、私たちが真剣に受け止めなくてはならないことである。
- 主イエスは今も天におられ、生き生きと存在し、地上の様子に心を傾けておられる。ご自分に従い、主のみこころを行う人々に、作戦タイムが必要なこともご存知。礼拝はそのためにある。
- モーセやエリヤのように、先に天国に行った先達も、そこで生き生きと存在している。私たちもその仲間に加わりたい。主イエスを信じ、天国の住人とさせていただこう。
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