2020年9月27日 主日礼拝

創世記 39章19節~23節
國分広士牧師

1.監獄に入るまでの主の祝福

  • ヨセフは兄達に憎まれ、奴隷として売られ、エジプトに連れて行かれた。彼は孤独に見えるが、実は主が共におられた。彼の歩みから主の祝福がわかる。
  • 売られた先の主人は王の廷臣(1)。奴隷を買い労働させるのは当時の社会では通常のことだったが、社会的地位の高い人なら、同じ奴隷を買うのでも、できるだけ良さそうな人物を選んだはず。売り手も、その奴隷の年齢性別能力などを評価して売値を決めたはず。ヨセフは奴隷として高評価だったということだろう。
  • もしもヨセフが「自分を奴隷とは認めない!」と反発していたら、高評価は得られるはずがない。奴隷になっても前向きな姿勢でいたということ。
  • ヨセフは主人の家で真面目に働き、主に守られて成功したので主人に信用され、全財産の管理を託された(4)。主人の家は、ヨセフのゆえに祝福された(5)。
  • ところが主人の妻が彼を不倫相手にしたがり、毎日言い寄る。ヨセフが拒み通したため彼女に憎まれ、嘘の告発をされ、監獄に入れられてしまった。(7-20)

2.監獄に入れられてからの主の祝福

  • 不条理な目に遭いながら真面目にやってきたのにと、心が折れそうな状況だったのだが、監獄でも主はヨセフと共におられ、恵みを施された(21)。
  • 獄内でも生活上の仕事はたくさんある。自暴自棄にならずに、毎日の自分の仕事をよくやり、さらに他の囚人達の手伝いまでしたのだろう。ヨセフは監獄の長に信頼され、獄内の管理をまかされた(22)。
  • 監獄の長は、「ヨセフの手に委ねたことには何も干渉しなかった。(23)」それは、かつての主人から受けた評価と同じだった。(6)

3.主がともにいてくださるなら

  • 家と監獄では状況は違う。外に出たいとヨセフも思っていた(40:14-15)。しかし、どこににいても、主の祝福が与えられていたことに注目しよう。
  • もっとふりかえるなら、ヨセフは幼い頃に母ラケルを亡くしている。その分、父はよけいに可愛がってくれたが、そのために兄達に憎まれた。奴隷となってもくじけずに頑張って評価されたが、今度は誘惑を受けた。誘惑に打ち勝つと逆ギレされ監獄に入れられた。その監獄内でも望みを持ち、自分に与えられた役割を果たすことに集中できたのはなぜなのか?
  • ヨセフを真に支えたのは主なる神への信頼。どんな状況にいたとしても、「主がともにおられる」ことに気が付く人は幸い。その人は孤独ではない。見捨てられてはいない。ヨセフは自分自身の経験からそれを学んでいる途上にいた。
  • 主を信じて歩むヨセフは、このあと、エジプトの総理大臣になり、エジプトの民やヨセフ自身の家族をも、飢饉から救う大事業が託されることになる。結果からふりかえるなら、ヨセフの苦難には準備として大切な意味があった。
  • 主イエスもこう教えた。“同じようにあなたがたも、自分に命じられたことをすべて行ったら、『私たちは取るに足りないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい。」ルカ17:10”
    こう教えられた主イエスを信じよう。