2020年9月13日 主日礼拝

創世記 35章1節~12節
國分広士牧師

1.神による礼拝への招き

  • ここまでのヤコブの歩みは波乱万丈だった。父にかわいがられる兄への妬み・騙しとった父からの祝福・兄の怒りを逃れての母の故郷への旅立ち・その途上で夢で見た天に届くはしご・おじラバンの娘ラケルとの結婚を願いおじに仕えた7年間・やっと結婚と喜ぶがラバンに騙され姉のレアと結ばされた落胆・ラケルも妻とするため、また報酬を得るため、おじに仕えた13年間・二人の妻の確執と、与えられた多くのこどもたち・おじの不条理な仕打ちを受けながら、神に支えられて得た財産・おじの元を逃げ出すが追いつかれ、神の助けで和解し解放・憎まれていた兄が受け入れてくれたこと・カナンの土地で受けた恥辱と、恨む息子たちが犯した暴虐な仕返しによって土地の憎まれ者となる…色々なことがあった。
  • その上で、神はヤコブに語りかけ、かつて天に届くはしごの夢を見せたベテルに行き祭壇を築くよう命じる。多くの人生の経験は、最終的に人が神に素直に心を向けるための準備となる時、真に意味ある経験となる。

2.異国の神々を取り除き

  • ベテルに行く意味は、彼に語りかけた方が誰なのかを明確に証しすること。神と呼ばれるものは多くあるが、彼の人生を真に導いてくださった神は、ベテルで表れ、その後も彼にことばをかけ続けてくださった方である。
  • 妻ラケルはひそかに父ラバンの偶像を持ち出していた。ヤコブが率いる人々は妻四人、息子11人、娘1人、多くのしもべたち。息子たちもすでに妻子がいただろう。彼らも色々な偶像を持っていた。目に見えないまことの神を信じる人の方が珍しいのであり、普通の人々の普通の宗教心は偶像を神とする。
  • ヤコブは家長として「あなたがたの中にある異国の神々を取り除き」と命じる。それは偶像を大切にしていた人々にとっては大きなチャレンジだった。家長とはいえ、ヤコブがこれを命じるのにはかなりの勇気が必要だっただろう。
  • その勇気は、神の語りかけから得た。神が自分を礼拝に招いてくださっている。自分はどういう姿で神の前に出るのか。多くの偶像を保有しているのに、知らぬふりをして、心を見抜く方の前に出るのは恐れ多かったのだ。
  • ヤコブの呼びかけに家の者たちも応じ、偶像を差し出したのでヤコブはそれを埋めた。5節には「神からの恐怖が周りの町々に下ったので、誰もヤコブの息子たちの後を追わなかった」とある。土地の人々から仕返しされることを恐れる思いが、偶像を捨て、まことの神に救いを求める思いへとつながったようだ。

3.神の祝福

  • ヤコブはベテルで祭壇を築き礼拝した。神は彼に現れ、祝福してくださった。
  • その祝福の言葉が11節。神はご自分を「全能の神」と呼び、絶対的に信頼できることを示した。その上で、アブラハムに与えた約束を繰り返す。神の祝福は終わらない。
    出エジプト20:5-6には「それら(偶像)を拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたみの神。わたしを憎む者には父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施す」とある。
  • ヤコブの受けた祝福は子孫に及ぶ。私たちも祝福を受け継がせる者になろう。