2020年4月26日 主日礼拝

詩篇 17篇
國分広士牧師

1.正しい訴え

  • 主に祈るのは、「正しい訴え」でなければならない。
    ヤコブ4:3には「求めても得られないのは、自分の快楽のために使おうと、悪い動機で求めるからです。」とある。
  • 動機が不純でも願いが叶うこともあるかもしれない。しかし結果さえ良ければ、心の清さはどうでも良いと思ってはいけない。主は心を調べる。
  • 心が問われるのは夜(3)。すなわち一人になって主に祈る時。真剣に主に祈り求める時に心は試される。忘れていた罪まで思い起こす事もある。悔い改める者を主は赦される。罪が赦されて「道を堅く守」ることができる。

2.瞳のように私を守り

  • 人は本能的に瞳を守る。「瞳」(8) は大切であると同時に弱い。コロナウイルスも目から感染しやすい。自分を弱く傷つきやすいものとして大切に扱って欲しいという願いである。「御翼の陰」(8)も、ひなを親鳥が守るという意味で、ひなのように弱く保護が必要な者と自認している。
  • それは自分に危険が迫っているから。「悪しき者」「貪欲な敵」(9) が「高慢に語り」(10)、「跡をつけ」「取り囲み」「地に投げ倒そうとして」(11)いる。コロナウイルスも私たちを取り囲んで隙あらば感染させようと狙っている。私たちにも危険が迫っている。さらに、もっと恐ろしい敵も私たちに迫っている。

3.たましいを助け出して

  • 13、14節には「私のたましいを助け出してください」という願いが繰り返される。
    「たましい」とは何を意識している言葉か? 敵のことは「相続分が地上のいのちであるこの世の人々」(14)と言っているので、死んでも残る心という意味で「たましい」と語っている。
  • たましいを助け出すとはどういうことか?人は死後にさばきを受け、天国か地獄かに定められるので、天国に行けるように願っている。しかし罪に陥り堕落してしまうならば地獄に落ちる。堕落させるのは罪の誘惑。そう考えると、自分に迫る最も危険な敵は罪なのである。
  • 瞳のように、ひなのように、私たちの心は弱く傷つきやすい。自分は誘惑に弱いと、守っていただく必要を謙虚に認め、主の助けを求めよう。
  • 主の助けを信じると、主がともにおられるので満ち足りる(15)。