2019年5月26日 主日礼拝

ローマ人への手紙 10章9~10節
國分広士牧師

1.大祭司は神と人とをとりなす

  • 大祭司は出エジプトの時代に神によって立てられた制度。アロンの家系が世襲で祭司となり、その一人が大祭司となり、神と人との間に立ち、生贄をささげ、人をとりなす役割を果たした。
  • 大祭司は人間なので不完全。神の御心に背く者もいた。主イエスを断罪したのが大祭司であったことが典型。彼らは形式的にはとりなしができても、真の意味では人をとりなせない。

2.主イエスは完全な大祭司

  • 主イエスは天に登り、父なる神の前で私たちをとりなしておられる。
  • 主イエスは完全な大祭司。まず罪がないの自分自身の贖いが必要ない。また動物ではなく、真の人であるご自分をいけにえとしたので、完全ないけにえをささげた。
  • さらに永遠に存在されるので、いつでも頼れる。眠ることもまどろむこともないので、いつでも救いを求められる。

3.完全なとりなしで完全に救ってくださる

  • 私たちはどんなに悔い改めてもまた罪を犯してしまう。パウロは正直に自分の罪深さを認め「私には、自分のしていることが分かりません。自分がしたいと願うことはせずに、むしろ自分が憎んでいることを行っているからです。」(ローマ7:15)と告白している。
  • パウロはさらに、自分では自分をコントロールできないので、誰かに救っていただかなくてはならないと語っている。「私は本当にみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」(ローマ7:24)では誰が救うのか?
  • 完全な大祭司だけが完全に救うことができる。私たちには主イエスが必要であることを認め、贖いを願おう。