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2019年5月19日 主日礼拝
1.大祭司は神と人とをとりなす
- 大祭司は出エジプトの時代に神によって立てられた制度。アロンの家系が世襲で祭司となり、その一人が大祭司となり、神と人との間に立ち、生贄をささげ、人をとりなす役割を果たした。
- 大祭司は人間なので不完全。神の御心に背く者もいた。主イエスを断罪したのが大祭司であったことが典型。彼らは形式的にはとりなしができても、真の意味では人をとりなせない。
2.主イエスは完全な大祭司
- 主イエスは天に登り、父なる神の前で私たちをとりなしておられる。
- 主イエスは完全な大祭司。まず罪がないの自分自身の贖いが必要ない。また動物ではなく、真の人であるご自分をいけにえとしたので、完全ないけにえをささげた。
- さらに永遠に存在されるので、いつでも頼れる。眠ることもまどろむこともないので、いつでも救いを求められる。
3.完全なとりなしで完全に救ってくださる
- 私たちはどんなに悔い改めてもまた罪を犯してしまう。パウロは正直に自分の罪深さを認め「私には、自分のしていることが分かりません。自分がしたいと願うことはせずに、むしろ自分が憎んでいることを行っているからです。」(ローマ7:15)と告白している。
- パウロはさらに、自分では自分をコントロールできないので、誰かに救っていただかなくてはならないと語っている。「私は本当にみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」(ローマ7:24)では誰が救うのか?
- 完全な大祭司だけが完全に救うことができる。私たちには主イエスが必要であることを認め、贖いを願おう。
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