2018年6月10日 主日礼拝

サムエル記第一 5章1~6章21節
國分広士牧師

「神の箱」による災い。(5章)

  • ペリシテ人は戦利品としてイスラエルの神の箱をアシュドデの町に持ち帰り、彼らの神々であるダゴン神の神像の前に置いた。ところが、翌朝、ダゴン神像は神の箱の前にひれ伏すように倒れていた。さらに翌朝また倒れ、しかも神像の首と両腕が折れてしまっていた。
  • アシュドデでは病気も流行り、多くの人々が亡くなった。ネズミによる感染だったようだ。アシュドデの人々は神の箱のせいだと考えた。
  • ペリシテは小さな都市国家5つの集合体なので、王たちの協議が必要。王たちはガテの町に神の箱を移した。するとガテでも同じ病気が流行り、多くの人に腫物ができ、死人も多数出た。ガテの人々は耐えきれずエクロンの町に神の箱を移動させたが、エクロンの人々からも抗議され、神の箱をどうするかがペリシテ人たちの悩みになった。

「主の箱」の返し方。(6:1-9)

  • ペリシテ人は神の箱をイスラエルに返そうと考えるが、下手に返すとかえって神の怒りに触れるかもしれないと恐れ、彼らの中の宗教の専門家の意見を求めた。
  • 尋ねられた者たちは、二つのアドバイスをする。第一に単に返すのではなく、償いとして金のネズミを作って捧げること。第二に、偶然かどうかを確認するため、人間が持っていくのではなく牛にまかせること。
  • また彼らは、イスラエルの出エジプトを例に、エジプトのように頑固ではあずいし、結局エジプトでさえ去らせたのだから、自分たちも早く神の箱を返すべきと主張した。こうしたもっともらしい意見が言えることは驚き。神は誰でもお用いになれるのだ。

右にも左にもそれなかった。(6:10-18)

  • ペリシテ人の領主たちはアドバイスに従った。母牛が子牛を置いて遠くに行くことは考えにくい。なのに、牛は右にも左にもそれずにイスラエル方向に道を進み、ついにイスラエル領に入る。ペリシテ人の領主たちはそれを見送り、偶然ではなかったと知った。
  • この光景は不思議である。牛がまるで誰かに導かれるようにまっすぐに進む。目には見えないが、イスラエルの神ご自身がこのことをなさっていると、ペリシテ人の領主たちは国境まで見送りながら考えたことだろう。彼らはイスラエル人の信じる神は、まことの神であることを知った。あの箱には何が入っていたのか?みことばが記された石の板である。神はこの機会を用いて、ご自分のみことばの確かさを教えたのである。

だれが聖なる神の前に立てるのだろう。(6:19-21)

  • 神の箱が帰って来て喜んだベテ・シェメシュの人たちは、生贄をささげて神を礼拝した。しかし、同時に彼らは箱の中を見てしまったため神罰を受け、70人が死んだ。
  • 箱の中を見たのはみことばを知りたかったからではなく好奇心。実は神を信じていないから覗くのだ。礼拝をしながら実は信じていない。神は偽善の信仰を最も嫌われる。
  • こうした半信半疑は私たちにもある。それでは心を見る神の前に立つことはできない。主イエスを信じ、十字架の贖いで、不信仰の罪も赦していただこう。