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2018年6月17日 主日礼拝
主を慕い求める時(1-2)
- 「主の箱は暫定的にキルヤテ・エアリムに落ち着いた。災いが起きないのでそのまま時が過ぎ、20年が経過した。
- 大きな変化が無いように見える期間だが、イスラエルの民の心には大きな変化があった。それは、「イスラエルの全家は主を慕い求めていた」という表現に見える。
- どんな時代にも少数の信仰熱心な人がいるが、「全家」が「慕い求める」というのだから、大きな機運。それも「主を」であり、あがめるべき方は明確に意識されている。有効ならどの教えでもいいということではない。
主にのみ仕えた(3-6)
- サムエルは人々に語りかけるが、この時に初めてそうしたのではない。彼の宣教活動は神の箱が奪われる事件の以前から、イスラエル全域で行われていた。(3:19-20)特に祭司エリが死んで以降、主の教えを明確に語るサムエルは、イスラエルの精神的なリーダーとして人々に受け入れられていったのだろう。
- サムエルは二つの応答を人々に求めた。第一は「異国の神々やアシュタロテを取り除きなさい」私たちの状況に置き換えれば、家の仏壇や神棚を撤去し、お守りやお札や占いなどにまつわるものを処分するというようなこと。親類との関係もあり、お金もかかっており、そう簡単にはできない。イスラエルもペリシテとの戦争後20もかかって、ようやくこれを実行した。
- 第二は「心を主に向け、主にのみ仕え」るということ。外面的な宗教としてではなく、心からの信仰を求めた。
- 応答への主の祝福は、ペリシテ人の手から救いだしてくださるということ。
危機における祈り(7-12)
- 大勢のイスラエル人が、礼拝のためにミツパに集結したが、それはペリシテ人には、自分たちへの宣戦布告と見えた。そこで領主たちが自分たちの軍隊を率いて攻めて来た。
- こうした危機的状況は、人の本音が見えやすい時。礼拝を中断して戦おうとしたり、逃げ出そうとするなら、彼らの信仰は「状況がゆるされれば」というもの。忙しいから礼拝を休むという姿勢なら、信仰は暇つぶしにすぎない。
- この時イスラエル人は礼拝を主催するサムエルに「主に叫ぶのをやめないでください」と頼んだ。心焦る状況で、非常に優れた判断をした。
- あわてて戦っても、軍隊相手では敵の方が圧倒的に有利だし、焦って逃げても大勢の犠牲者がでることは目に見えている。
- 自分たちは「ペリシテ人から救ってくださる」という約束を信じて、偶像を捨てて主を礼拝している。ここで礼拝をやめれば、信じたことを否定してしまう。イスラエルはみことばを忘れず、みことばに従うことを選び取ったのだ。
- 主は雷鳴をもって答え、まずペリシテ人をかき乱した。そのチャンスを捉えてイスラエルはペリシテ人を撃退することができた。
みことばを教え続けた(13-17)
- これ以降もサムエルの宣教活動は続く。毎年、拠点となっている聖所を巡り、さばいた。すなわち、主の教えを語り、従うように導いたのだ。サムエルは旧約聖書の執筆者の一人であると思われる。神のみことばをいただいている本人が教え導く恵まれた時代であり、信仰に立つイスラエルは、政治的・経済的にも繁栄した。
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