2018年5月20日 主日礼拝

使徒の働き 2章1~21節
國分広士牧師

「炎のような舌」がとどまった。(1-4)

  • 新改訳三版では「炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。」だったが、新改訳2017では「炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。」と訳された。2017の方が、「舌」が強調されている。
  • 「舌」は「ことば」を意味する。聖霊の舌がとどまった弟子たちは、聖霊の語らせることばを語り出した。

これはどうしたことか?(5-13)

  • 「五旬節」は過越の祭りから50日目に祝う祭り。祭りとは礼拝であり、諸国に散らされているユダヤ人たちは、エルサレムに礼拝しに集まっていた。イスラエル以外の諸国で暮すユダヤ人たちは、生活言語としてそれぞれの国のことばを用いていた。
  • 聖霊が降ったときの物音を聞いて集まった人々は、主イエスの弟子たちが何かを語っている光景を見た。そこには、必ず自分の生活言語で語る弟子がいた。9-10節には15もの地名がある。それぞれに異なる言語を用いているので、まさかエルサレムで自分の生活言語で神のみ教えを聞くとは思わず、人々は驚いた。
  • しかし、ことばの内容をきちんと理解せず、単に騒ぎが起きているとしか思わない人は、酔っ払っていると誤解した。

「わたしの霊を注ぐ。」(14-18)

  • ペテロは誤解を解き、聖霊が伝えようとしておられることを人々に理解してもらうため、声をはりあげた。
  • ペテロは、この現象は旧約聖書のヨエル書に記されている預言の成就だと解き明かした。
  • ペテロが引用したのはヨエル2:28-32。終わりの日の預言。終わりの日は神が最後の裁きをされる日。その日が近づいているから、備えをせよと呼びかけられている。
  • その呼びかけのため、聖霊は人々に預言をさせ、幻を見させ、備えをさせる。

主のみ名を呼び求めるため。(19-21)

  • ついに栄光の主が来られる。しかし、それは同時に裁きの時でもある。
  • その裁きの日の前には、苦難の日も訪れる。(太陽は闇に、月は血に変わる)
  • どんな苦難があっても「主の御名を呼び求める者はみな救われる。」
  • イエス様が栄光の姿で再臨される日が来る前に、主の御名を呼び求めよう。イエス様が私たちのために十字架で死なれた救い主であることを信じよう。そうすれば救われる。
  • 信じた者は、この教えを他の人に伝えよう。自分さえ救われればというような狭い心ではなく、全ての人が救われることを求めよう。