2018年5月6日 主日礼拝

サムエル記第一 3章1~10節
國分広士牧師

主のことばはまれにしかなかった。(1)

  • サムエルが初めて神のことばを聞く頃には、主のことばも幻による啓示もまれだった。エリに語った「神の人」はもう亡くなっていたのかもしれない。
  • サムエルが主のことばを聞き始めた時には、霊的に不毛の時代だった。

主はサムエルを呼ばれた。(2-4)

  • サムエルは神殿で寝泊まりしていた。目の見えなくなったエリを介助する必要もあったのだろう。
  • 初めて主に呼ばれた時、サムエルは近くにいるエリに呼ばれたと思い、エリの所に行くが、エリではなかった。それが三度繰り返された。
  • サムエルはまだ主を知らなかったが、すなおに応答する姿勢は持っていた。「ねむいから」「面倒だから」「また違うと嫌だから」と素直になれないなら、二度まではエリの元に行っても、三度目は無視したかもしれない。

エリは主のことばを聞くためのアドバイスをした。(5-9)

  • 三度目に、エリは主が呼んでいると悟った。
  • そこで、サムエルに大切なアドバイスをした。第一に、「主がお前を呼ばれた」と教え、今度呼ばれたら「主よ」と答えるように勧めた。
  • 第二に、「お話しください」と言うように、すなわち、主のことばを聞けと教えた。
  • 第三に「しもべは聞いております」と、自分を主のしもべだと認め、へりくだって、従う姿勢で聞くように教えた。
  • エリは主より息子を重んじる問題もある人物だったが、それでも主を信じているので、大切な役割も果たした。私たちも信仰が弱くても、主を信じていれば、大切な役割をまかされるかもしれない。

サムエルはアドバイスに従った。(10)

  • 主はサムエルを四度呼ばれた。主は、三度で呼ぶことをやめなかった。
  • しかも主はサムエルのそばに立っていた。遠くから呼ばれたのではない。主はここに、ともにおられる。
  • サムエルはエリに言われたように応答した。しかし、最初の「主よ」だけは言わなかった。まだ半信半疑の部分があったのかもしれない。信仰のスタートにはよくあること。
  • それでも聞こうという姿勢は確か。だからこそ主は語られた。
  • 私たちも聖書を読む時、学ぶときに、この姿勢をもち、 「主よ、お話しください。しもべは聞いております」と告白しよう。