2018年4月22日 主日礼拝

サムエル記第一 2章26~36節
國分広士牧師

1 祭司エリの息子たちは主を知らなかった。(12-17)

  • 祭司は世襲なので、エリの息子たちは父を引き継ぎ祭司として働いていたにもかかわらず、主を知らなかった。何も知識がないということではないだろう。しかし、生きた信仰がないので、実際には主を知らない。
  • 彼らの問題は「よこしま」。自分本位で、祭司の立場を私腹を肥やすことに用いていた。
  • いけにえを献げることは、祭司の最も大切な職務のひとつ。人々が正しく主に献げるように導くのが祭司の役割。しかし祭司の子弟たちは正しくささげる人々を妨害した。
  • 祭司はいけにえの十分の一を取り分として受け取る。「まだ煮ている間に」とは、取り分を受け取る前に一部の肉を取り去ったということだろう。その上で献げられたうちの十分の一をまた受け取る。こうして自分たちの取り分を増やそうとしたようだ。
  • 脂肪と血は食べてはいけないという律法がある。脂肪は燃やし尽くさなければならない。しかし、それは食品としては魅力に欠ける。そこで脂肪を除去していない生肉を要求した。これらの律法違反は、知らないからというより、あえて無視したということだろう。
  • サムエルが預けられたエリの家には、残念ながらこうした問題があった。

2 ハンナへの祝福。(18-21)

  • エリの子達の不真実と対照的に、主に忠実なハンナへの祝福が述べられる。
  • 祭司エリも、ハンナの信仰に感動し、祝福を与えた。また、サムエルの養育についても、注意深く、良い子に育つようにこころがけたのだろう。 

3 父の忠告を聞かない息子たち。(22-25)

  • エリの息子たちは、さらに不倫の罪も犯していた。相手はこともあろうに、祭司を補助する立場の女性たち。主への真実な礼拝が行われているそのすぐ近くで、けがわらしい罪が行われていた。
  • それらの問題は、悪いうわさとなり、人々に知れ渡り、ついに父親のエリの耳にも届いた。エリも問題の深刻さを認識し、息子たちをいさめた。
  • いさめるエリのことばは預言的。「主に対して罪を犯すなら、だれが仲裁に立つのか?」私たちはそれがイエス様なのだということを教えられているが、エリは知らなかった。
  • 息子たちをかばいたい父親の悩み。それは父なる神様のみ思いをも連想させる。
  • だがエリは、心を鬼にして、息子たちを罷免するべきだった。そうすれば、後の悲劇は避けられた。断罪できなかったエリは、主に委ねる信仰は弱かった。

4 サムエルは愛され成長した。(26)

  • そのような悪環境の一方で、サムエルは成長した。
  • 神はサムエルをいつくしみ、人々に愛されるようにしてくださった。サムエルは周囲の人々にいつくしまれて育った。神は不思議なことをされる。
  • 私たちは「原因結果説」を信じやすい。何事かが起きるには、合理的な理由があるはずということ。しかしその観点からはサムエルの生育環境は悲観的。人間の思いを超えた主の助けがあったことを学ぼう。
  • 状況が悪ければ望みは持てないということではない。主はなんでもできる。いつくしみ深い主に、救いを求めよう。