2018年3月18日 主日礼拝

出エジプト記 14章1~31節
國分広士牧師

1 考えを変えたパロ。(1-7)

  • 過越の出来事によって、各家の長子失ったをエジプトは、この災いのもとであったイスラエル人たちを追い出した。奴隷だったイスラエル人たちがいなくなって、エジプト人は考えを変えた。あまりにも不便で、文明の維持には奴隷が必要だと考え直したのだろう。
  • 追いかけるには機動力が必要なので戦車で追いかけた。エジプトの全戦車を総動員。ものすごい人数のイスラエル人たちを連れもどすために総力をあげた。
  • 主は前もって追ってくると予告していた。しかもそのパロの軍勢によって栄光を表すと。災いが起こらないようにと私たちは願うが、主のお考えはそれを超えている。

2 これから行われる主の救いのみわざを見よ。(8-14)

  • 主は前もって海を分けることを計画していた。それでわざとイスラエルを海辺に宿営させていた。エジプト人はその主の計画を知らず、イスラエルが迷っており、連れ戻すチャンスと考えた。海辺にいる者たちに背後から迫れば、逃げ場がないので簡単に捕らえられると計算したのだ。狙い通り、エジプト軍はイスラエル人たちを包囲したが、実は滅びへと向かっていた。
  • イスラエル人たちも主の計画を知らないので、焦り、モーセに抗議した。私たちも主のみこころを悟らないと、この世的な計算でしか物事を評価しなくなる。
  • モーセは、自分にわめくイスラエル人を前にし、まだ海が分けられる前なのに、「主の救いを見なさい」と教えた。大きな出来事が起こってから後付けで教えを作り上げたのではない。信仰によって、まだ実現していない主のみわざを信じて語ったのだ。信仰がなければ、この教えを受け入れることはできない。

3 主の偉大な救いの計画と、与えられた助け。(15-22)

  • ここでようやく主は、杖を海に差し伸ばせと命じ、具体的な行動を示された。風によって海の水が分け始められる。同時に、イスラエルを先導していた雲の柱が、背後に回ってエジプト軍との間のしきりとなり、イスラエルを守った。一晩かかって海の水が分かれた。
  • 200万人ぐらいはいたであろうイスラエル人が渡るためには、海の道が狭くては何日もかかる。おそらく海の道は非常に広く、はるか向こうに水の壁がようやく見えるぐらいだったのだろう。それなら、大勢で一気に渡ることができる。また、そうだったからこそ、エジプト軍たちも安全と思い、追いかけたのではないだろうか。

4 イスラエルが見たものは何か。(23-31)

  • 渡りきったイスラエル人たちは、追いかけてくるエジプト軍が、海の道の途中で車輪が外れて進めないトラブルに見舞われ、立ち往生している状況を見た。彼らはもはや手遅れな時点に至り、後悔していた。そして海の水は元に戻った。
  • イスラエルは、元に戻った海の岸辺に打ち上げられた、エジプト軍の死体を肉の目で見た。しかし、信仰の目で見たのは、「主の大いなる御力」だった。
  • 私たちも信仰の目をあげよう。単に世の現象を肉の目で観察するだけではなく、その現象を起こした主の力を見、その力を振るわれた主のお考えを悟るのが信仰である。
  • 主に従う者はどうなったのか?主に逆らう者はどうなったのか?自分に当てはめるとどうなのか?主を信じ、従い、救っていただこう。