2015年8月23日 主日礼拝

マルコの福音書 1章40~45節
國分広士牧師

礼拝で使ったプロジェクタのデータは こちら をご覧ください。

1.ツァラアトという病

おそらくハンセン病のこと。20世紀後半に投薬治療ができるようになるまで不治の病だった。また体の損傷などの症状から非常に恐れられていた。聖書でもツァラアトの人は汚れているので宿営の外にひとりで住まなければならない(レビ記 13:45-46)と書かれている。こんな人々の会話から取り残されるツァラアトの人の耳にまで主イエスの名が届いたのだ。

2.「お心一つで」と言う信仰

ここに登場するツァラアトの人は、主イエスを深く信頼している。ガリラヤ諸地域で主イエスは福音を教え、数々の癒しの奇跡をなされた。しかし有名になっても、主イエスをどう評価するかは人次第。「お心一つで」と言う態度は、主イエスを神の子だと権威を認めている。

3.「わたしのこころだ」と言う主の愛

主イエスは彼に対して自分の心を表現された。ツァラアトの人をあわれんでさわったのだ。律法ではツァラアトの人は汚れた者であり、汚れに触れた人も汚れると教えられている。ツァラアトという苦しみを背負いながら、誰にも優しく触れてもらえないでいた彼をあわれむ思いを触れることで表現されたのだ。そして触れながら「わたしの心だ」と言い、「きよくなれ」と癒された。あえて触ることにより、彼の体だけでなく心を慰めた。

4.黙っていられなかった

主イエスは彼に口止めをしたが、彼は黙っていられず、主イエスのみわざを語ったので、ますます主イエスは有名になり、表立って町に入れないほどになった。