2015年8月9日 主日礼拝

創世記 28章4~22節
國分広士牧師

1.ずれているエサウ

エサウは自分の妻が両親に気に入られていないことに気がついた。しかし、弟が両親に聞き従ったことには注目せず、またも自分の勝手な意思で、おじであるイシュマエルの娘をめとる。カナンの娘ではないが、イシュマエルの娘が両親に気に入られると思ったエサウは、ずれている。

2.天に届くはしごの夢

ヤコブはハランに向かうが、古代の長旅なので野宿もあった。野宿は危険も伴うが、実はヤコブは守られていたことを夢の中で知る。彼のいたところは、誰もいないどころか、天に届く梯子がたてられ、天使たちが上り下りしていた。これでは野獣も盗人も近づけない。しかも、主が彼のかたわらに立ち、主ご自身の言葉で父から受け継いだ約束を保証してくださり、ともにいると約束してくださった。

3.主への恐れ

夢がさめたときが分かれ道。興奮も冷め、臨在を感じるような特殊な事柄もない。それでもここに神がおられると思うか思わないかで、全く変わる。ヤコブは主がおられたのに気がつかないでいた自分を恥じ、恐れた。また静まりかえっているが、実は神が見ておられることをヤコブは信じ、神の注目に応える歩みをしようと決意した。彼は人に見られれば「何をしているのか?」と思われる誓願の儀式をした。旅のすべてが守られるなら「主が私の神となられる」ことだとヤコブは考え、その感謝として、「あなたが私に賜る物の10分の1を必ずささげます。」と約束した。ともにおられる主への恐れが誓いを生んだのだ。