2015年7月19日 主日礼拝

創世記 26章22~35節
國分広士牧師

1.主の声を聞く

水をめぐるトラブルが一段落したとき、イサクは主に感謝し、栄光を主に帰した。主はイサクに声をかけ、励ましてくださった。励ましの内容は、主がともにおられ、主がアブラハムに約束してくださった通りに、彼自身も子孫も祝福されるということ。それは内容的には新しいものではないが、まだ成就していない約束なのだから、祝福を受け取るということが必要。まだ受けていない祝福は、必ず受け取ろう。

2.イサクは主の御名によって祈った

イサクは主への応答として、祭壇を築いて主の御名によって祈った。祭壇はいけにえをささげるためのもの。いけにえによって犠牲心が表明され、主の御名を呼ぶことで、誰に対して捧げた犠牲なのかが明らかにされる。これによって主との交わりが深められ、祝福を受け取る意思が表明された。信仰は繰り返し告白することで深められる。

3.祝福が続く

主との交わりを深めたイサクには、祝福が増し加えられる。第一に自分を追い出したペリシテ人の王アビメレクが、和解と契約を求めてやって来た。これは21章で父アブラハムがしたのとよく似た経験。父に与えられた祝福は確かに子に受け継がれた。次に、さらに水を発見し、経済的繁栄が続く。主は豊かに祝福してくださる。自分の受けた恵みを思い起こし、確かな導きがあることをかたく信じよう。