2015年2月22日 主日礼拝
1.心が問題
主イエスは、殺人の罪は実際に危害を加える行為だけでなく、怒りや侮辱のことばも殺人罪だと説かれた。1ヨハネ3:15には「兄弟を憎む者は人殺し」だとも書かれている。反対に、危害を加えたとしても意図的でなければ、過失致死であって殺人罪ではない。真に罪が問われるのは行為ではなくて心。だから行為に出す前でも心の罪を神は問題にされる。
2.仲直りが優先
祭壇に供え物をささげるのは、ユダヤ人には非常に重要で、最も優先して行うべきだと考えていた。それほど重要なことよりも、恨まれている兄弟との和解の方が優先課題だと教える点が注目に価する。神は心を評価するので、和解せずにする供え物を喜ばない。供え物を祭壇のところに置いたまま和解に出かけるのは非常識だが、それほど和解が大切だと強調して教えている。
3.神との仲直りを
神は必ず人を裁く。兄弟との仲直りが優先課題であるように、神との仲直りはさらに優先課題。神は私たちの罪深さを怒っていないだろうか?しかし怒ると同時に、神は仲直りの仲介者として主イエスを与えてくださっている。主は十字架で私たちの罪を代わりに負い、死刑を受けられた。私たちの罪はすでに裁かれている。主イエスの死は自分のせいだったのだと、自分自身の罪を認める者は神と仲直りできる。