2015年1月18日 主日礼拝

創世記 17章15~27節
國分広士牧師

1.彼女によって

神はアブラハムとサラの夫妻に男の子を与えてくださると約束された。アブラハムは、それはイシュマエルのことを言っているのだと勘違いする。神はサラが来年の今頃産むことを明言し、「イサク」と名付けるように命じられた。イシュマエルには別の祝福を与えることまで約束された。

2.笑った

アブラハムはなぜ笑ったのか。彼は神の言っているのはイシュマエルのことなのだろうと、自分が信じやすいように神のことばを言い換えるが、そこに彼の思い込みが現れている。人は「常識」という自分の悟りを必ず持っているが、それは必ずしも信用できない一時的な理解にすぎず、常に修正を必要としている。「自分の悟りに頼るな」(箴言3:5)ということばがあるが、神のことばを聞いて自説を変更できるかどうかが問われる。

3.その日のうちに

アブラハムは神のことばを信じ、その日のうちに割礼を受けた。彼は自説に固執せず、神のみわざが現れることを期待し、自ら神に従う姿勢を明確にした。割礼は激しい痛みをともなうので、高齢者には厳しい。また、しもべも一気に全員受けるのは、数日間、外敵に無防備になるので危険を犯すことになるが、神の守りを信じゆだねる信仰を示すことにもなる。信じがたい祝福を受けるため、神を信じ、従う道を選び取ろう。