2014年11月23日 主日礼拝

マタイの福音書 18章11節~14節
國分広士牧師

1.九十九匹を山に残して

百匹も羊がいたら、そのうちのたった一匹より九十九匹のほうが大切ではないだろうか?論理的にはそう思える。しかし、事実は、羊飼いは一匹を放置できず、九十九匹を残して一匹を捜す。羊飼いは羊を愛するので、山中で助けを求めて泣いている羊を思うと、捜しに行かずにはいられない。

2.人の子は失われた者を救うために来られた

主はご自分の気持ちを代弁するために羊飼いを例にされた。自分はあの羊飼いが羊を捜しに行くように、この世に来られたのだと言っておられる。気楽に来たのではない。神のみ子が人となるという犠牲を払って来られた。そればかりでなく、ご自分の命を捨てる覚悟で来られ、十字架への道を歩まれた。

3.父なる神は、ひとりも滅びてほしくない

この世は全体を守るために個人に犠牲を強いる。しかし、主は、ひとりを救うためにご自分を犠牲にされる。何と大きな違いだろうか。私たちはこのような救い主を必要としている。自分が「迷っている」「助けが必要だ」と感じる者は、主に叫ぼう。主も、あなたを捜しておられる。