2014年11月16日 主日礼拝

創世記 15章1節~21節
國分広士牧師

1.主を信じる

まだ一人もいない子孫が、星のようにというのは夢のような話。しかし造り主にはできる。また主は裏切らない。アブラムが信じがたいことを信じることができたのは、主の力と誠実さを信頼する故だった。

2.義と認められる

人の心の奥底までも見通す方は、全ての人が罪人だと見られる。そこで主は人の身代わりとなったキリストを裁くことで罪の刑罰を果たした。そして主を信じる者は、その信仰によって義と認められる。神は時間をも造ったお方なので、時間に拘束されない。キリスト以前の旧約の民も、主を信じるなら、後のキリストの贖いにより義と認められた。

3.将来の計画

主への信仰は無言になることではない。アブラムは信頼するからこそ、率直に「どのようにして」と主に尋ねた。すると主は後の計画を明かされた。主の計画は、単にアブラムの人生だけにとどまらず、将来まで続く大計画があり、アブラムは計画の一部にすぎない。しかし、アブラムが信じるかどうかが、ご計画の実現に決定的な影響があることも確かで、だからこそ主は信じるかどうかを注目する。私たちは、自分の歩みが自分の後に続く者たちに多大な影響を与えることを自覚し、責任のある生き方をしたい。